レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/10/29
- 登録日時
- 2023/03/24 00:30
- 更新日時
- 2023/03/24 00:30
- 管理番号
- 6001059591
- 質問
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解決
笠置シヅ子の幼少期について書かれた資料はあるか。
- 回答
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笠置シヅ子の幼少期について記載のあった資料は以下のとおりです。
■『歌う自画像 : 私のブギウギ傳記』(笠置シズ子 北斗出版社 1948)(※大阪府立図書館未所蔵。「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で確認。)
p.9(14コマ)「祭り囃子」の項に3歳頃の回想で「いまの中央市場の近くにあった大阪福島の家から天王寺の一心寺までお骨を納めに歩いて行ったのを覚えています」とあります。
p.41(30コマ)「灯影求めて」の項に「私は亀井志津子の名を手拭や鞄に書き附けて下福島尋常小学校に入学しました。2年生になると自宅が引越したので中津警察署の傍の曽根崎尋常小学校に転校し、更らに3年生の時、十三へ引越し神津尋常小学校に転校、4年生で川口へ移って本田尋常小学校に転校、5年生で南恩加島小学校に移り、ここで卒業までを送りました」とあります。
■『ブギの女王・笠置シヅ子:心ズキズキワクワクああしんど』(砂古口早苗/著 現代書館 2010.10)
p.22-27「少女歌劇に入る」の項に、「米・薪炭、酒類販売商を営む亀井夫婦の養女になった静子は、大阪市下福島の中央市場近くで8歳まで育つ」(p.22)、「一家は1922年に下福島から中津に引越し、静子は曾根崎尋常小学校へ転校。翌23年には十三へ引越し、神津尋常小学校に転校。24年に川口へ引越し、本田尋常小学校へ転校。25年、大正区南恩加島へ引っ越し、南恩加島尋常小学校へ転校」とあります。
■『わが歌ブギウギ:笠置シヅ子物語』(松竹座宣伝部/編集 大阪松竹座 2005.12)
「時代の歌手・笠置シヅ子」の項(p.26-28)に「昭和2年(1927)大正区の尋常小学校を卒業後、大阪松竹楽劇部生徒養成所に入り」とあります。
以下の資料も確認しましたが、笠置シヅ子の幼少期に関する記載はありませんでした。
●三谷俊之/著「『買物ブギ』進駐軍もスイング」『新聞うずみ火 No.134』(新聞うずみ火編集部 2006年12月)
●竹本浩三/著「笠置シヅ子」『上方藝能96-98』(198801-198809)
[事例作成日:2023年3月2日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 10版)
- 参考資料
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- ブギの女王・笠置シヅ子 砂古口/早苗∥著 現代書館 2010.10 (p.22-27)
- わが歌ブギウギ 松竹座宣伝部∥編集 大阪松竹座 2005.12 (p.26-28)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000330933