レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年08月03日
- 登録日時
- 2013/08/03 15:36
- 更新日時
- 2013/11/05 21:26
- 管理番号
- 20130803-3
- 質問
-
解決
斎藤利三について知りたい。
- 回答
-
斎藤利三 【さいとう・としみつ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%88%A9%E4%B8%89 (2013/08/03確認)
朝日日本歴史人物事典生年: 生年不詳没年: 天正10.6.17 (1582.7.6)戦国・安土桃山時代の武将。明智光秀の家臣。内蔵助。生年は天文3(1534)年とも同7年ともいう。利賢の子。母は明智光秀の妹とも斎藤親順の娘ともいい,妻についても斎藤道三の娘,稲葉良通(一鉄)の娘あるいは姪など,諸説がある。初め一鉄に仕えたが,やがて光秀に迎えられ,その家老として丹波に住す。天正10(1582)年,本能寺の変に従軍。続く山崎合戦で秀吉に敗れ近江堅田に逃れるが,捕らえられ六条河原で斬首される。その首は光秀の首と共に本能寺にさらされ,屍もともに粟田口で磔に処された。なお,徳川3代将軍家光の乳母春日局は利三の娘である。
さいとうとしみつ【斎藤利三】 国史大辞典? - 一五八二戦国・安土桃山時代の美濃出身の武将。内蔵助。『美濃国諸家系譜』には天文七年(一五三八)生まれとあるが、『寛永諸家系図伝』によれば、天正十年(一五八二)四十九歳で没すとあるので天文三年生まれとなる。父は『寛永諸家系図伝』によれば伊豆守某とあり、『美濃国諸家系譜』には伊豆守利賢とある。母にしても明智光秀の妹とするもの、親順の女とするものなど諸説がある。また妻についても稲葉良通(一鉄)の女とするもの、姪とするものなどがあり、その生いたちについては未詳である。はじめ斎藤義竜に仕え、ついで一鉄に属したが、やがて織田信長に仕えた。天正八年光秀に迎えられて、一万石を与えられ家老として丹波に居した。天正十年六月二日光秀が信長を京都本能寺に襲撃するや、これに参加し、山崎の戦にも従軍したが、戦い敗れ堅田に逃げて捕えられた。同月十七日六条河原で斬られ、その首級は光秀の首級とともに本能寺に梟され、さらにその屍は光秀とともに粟田口で磔にされた。このとき利三は四十五歳(または四十九歳)。遺骸は京都真如堂の東陽院に葬る。徳川三代将軍家光の乳母春日局は利三の末女である。[参考文献]『大日本史料』一一ノ一 天正十年六月十七日条
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 斎藤利三 さいとう としみつ
- 明智光秀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000135061