レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月02日
- 登録日時
- 2013/10/02 21:27
- 更新日時
- 2013/10/03 11:56
- 管理番号
- 20131002-2
- 質問
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解決
葉夢得について知りたい。
- 回答
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葉夢得 【しょうぼうとく】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E8%91%89%E5%A4%A2%E5%BE%97 (2013/10/02確認)
世界大百科事典 第2版
しょうぼうとく【葉夢得 Yè Mèng dé】 1077‐1148
中国,北宋末南宋の政治家,学者。字は少蘊(しよううん),号は石林,江蘇省呉県の人。1094年(紹聖1)に進士合格後,順調な官僚生活を送り,南宋に入ってからも有力な官職を歴任した。新法党寄りのその行動に批判はあるが,学問的には有職故実に明るく,法制や詩文の考証を主にした《石林燕語》《石林詩話》《避暑録話》などの随筆や,詞の分野でも文学的才能を見せ《石林詞》1巻を残した。詩文は早くから散逸し《石林居士建康集》8巻が残るのみ。
世界文学大事典
葉夢得 【よう・ぼうとく/イエ・モンドー】
Ye Meng de
中国 1077(熙寧10)-1148(紹興18)
中国,宋(そう)代の官僚,文人。字(あざな)は少蘊(しよううん),号は石林。蘇州(そしゆう)呉県(江蘇(こうそ)省蘇州市)の人。1097(紹聖4)年に進士及第。徽宗(きそう)朝では翰林(かんりん)学士となる。蔡京(さいけい)の門客であったが,京が宦者(かんじや)童貫を陝西(せんせい)方面の総司令官(宣撫(せんぶ)使)とするのに反対した。南宋になると,高宗朝において一時は尚書左丞(さじよう)(副宰相)にまでなったが,宰相朱勝非などとあわず左遷された。高宗の紹興年間には,主に建康(南京(ナンキン)市)の知事として,斉(劉予(りゆうよ)政権)・金軍の攻勢を阻んで功績をあげた。1148(紹興18)年に湖州で没する。官僚としての彼は財務に通じていたが,文人としては故実に明るいことで定評があった。その面での代表的著作が『石林燕語(えんご)』と『避暑録話』である。・・・
伝は『宋史』巻445,『宋元学案』巻96。
中国文化史大事典 / 尾崎雄二郎, 竺沙雅章, 戸川芳郎編集代表 東京 : 大修館書店 , 2013 ISBN:97844690128
p.1201 ようぼうとく 【葉夢得】
中国学芸大事典 近藤春雄著 大修館書店 1978 ISBN:4469032018
p.374 しょうむとく 【葉夢得】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000137739