レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年05月29日
- 登録日時
- 2023/05/02 17:56
- 更新日時
- 2023/05/16 09:57
- 管理番号
- 9000035467
- 質問
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解決
終戦直後に甲府駅南口駅前にあった「三角地帯」について書かれている資料や、当時の写真がないか。
- 回答
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甲府駅前広場には、かつて「三角地帯」と呼ばれた区画があり、敗戦直後から仮設の大衆食堂や闇市が立ち並んでいた。1948(昭和23)年からの戦災復興都市計画により整理が行われたが、三角地帯は商売上有利な地点であっただけに、訴訟を起こされるなどして移転は難航し、1951(昭和26)年に取り払われた。
詳細や写真については、参考資料をご確認ください。
- 回答プロセス
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1.甲府市の写真集を調査。
※次のものに関連写真の掲載があった。
(1)『甲府物語 市制100周年記念 写真集』(「写真集甲府物語」編集委員会/企画・編集 甲府市 1990年)〈資料番号0101003044〉
・p.13「(3)昭和23年、空襲で廃墟と化した甲府駅前の三角地帯には、早くも店舗が並んだ。」
・p.14「(2)ミニロータリーも整備されたが、まだ移転前の商店が見える。/ほぼ整備が終わった広場。」。
(2)『目で見る甲府の100年-写真が語る激動のふるさと一世紀-』(郷土出版社 1990年)〈資料番号0106808207〉
・p.149「駅前の三角地帯(昭和26年頃) 三角地帯には、敗戦直後から仮設の大衆食堂や闇市が立ち並んでいた。しかし、昭和23年からの戦災復興都市計画に基づく区画整理によって、次第に消えていった。右隅には、戦後はじめられた宝くじの看板があり、婦人が券を販売しているのがみえる。」
(3)『明治・大正・昭和写真集甲府90年』(甲府市/編・発行 1981年)〈資料番号0103536348〉
・p.64タイトルなしの写真あり(他の資料に既出のもの)
(4)『甲府市今昔写真帖-20世紀のふるさと150景-』(萩原三雄/監修 郷土出版社 2004年)〈資料番号0104041090〉
・p.35「甲府駅前の通り(昭和25年) 桜まつりのパレードが行く甲府駅前。写真には写っていないが、左に「三角地帯」と呼ばれる飲食店が立ち並ぶ一角があった。道路は未舗装である。」、「駅前の三角地帯(昭和25年頃) 左手に見えるのが、三角地帯と呼ばれる一画である。ここには戦災後に建てられた急造の飲食店や商店が建ち並んでいた。都市計画によって生じた立ち退き問題は難航したが、昭和26年春、ようやく三角地帯は取り払われることとなった」。
(5)『甲府いまとむかし』(甲府市/編・発行 1963年)〈資料番号0102033347〉
・p.88「三角地帯のある駅前」(写真2枚)。
2.『甲府市史』を調査。
※三角地帯に関する記述の概要は次のとおり。
(1)『甲府市史 通史編 第3巻 近代』(甲府市市史編さん委員会/編 甲府 1990年)〈資料番号0104616016〉
・p.218中央線敷設による甲府停車場の敷地が決定。飯田地区集落での大雨の滞水を避けるため、1901(明治34)年後半に朝日町通り踏切と新設道路工事、1902(明治35)年から西青沼までの延長と改修が決定。橘通りと水門町への街路が分岐点のやや北で分断されたため、停車場前に、第二次世界大戦直後まで残る駅前三角地帯が出現した。
(2)『甲府市史 通史編 第4巻 現代』(甲府市市史編さん委員会/編集 甲府市 1993年)〈資料番号0102585569〉
・口絵p.2甲府復興都市計画図(カラー)。
・p.2戦災復興都市計画の実施に携わった甲府市都市建設部長山内丈夫によると、建設省は、甲府に産業がないから、美しい街として作れ、温泉や葡萄があるから、東京のアクセサリーのようなスモール・パリにしろと言っていたというが、食うや食わずの市民から反対され、復興計画は最初から難航した。
・p.20現在の駅前広場には、かつて三角地帯と呼ばれた区画があり、山梨交通を始め257軒の店がひしめきあうように並んでいた。駅前という立地条件のよさから移転交渉は難しく、市では山梨軍政部の後押しを頼みジープで違法営業家屋を壊したり、営業収益の補填をしたり、県有地を換え地にして移転を実行した。移転の建物は1件当たり平均25,000円の補償料を出していたが、換え地の位置や建物移転を不満としていくつか訴訟が起こされ、代執行も行った。1951(昭和26)年12月23日駅前広場の移転完了。
・pp.82-83 1946(昭和21)年2月12日野口甲府市長ら関係者に県の恒久復興計画案を説明。計画が発表されると市民は大きなショックを受け、反対の動きが起きる。1948(昭和23)年11月変更計画が建設省の承認をうける。事業実施に伴う建物移転は1948(昭和23)年から行い、合計1,293戸を移転。うち行政代執行7件。甲府駅前の「三角地帯」は移転交渉が3か月も続いた。「三角地帯」から電車通りを横切って移転する建物4戸、その場で壊したもの5戸。1950(昭和25)年9月には旅館の建物を夜通し縄をかけて電車通りを横切って強制移転を行ったり、10月には訴訟で争った建物の代執行が一歩手前で協議移転となった例もあった。
(3)『甲府市史 史料編 第7巻 現代1』(甲府市市史編さん委員会/編 甲府市 1990年)〈資料番号 0101000073〉
・pp.40-41「市政ニューズ 第15号」(1950(昭和25)年11月20日)「着々とすゝむ 近代都市建設へのあゆみ-駅前三角地帯-」の記事
(4)『甲府市史 別編3 甲府の歴史』(甲府市市史編さん委員会/編集 甲府市 1993)〈資料番号0102585544〉
・pp.460-463 1945(昭和20)年10月12日、内務省の戦災都市復興基本方針の指示を受けて県による各種調査が着手。1946(昭和21)年2月25日、素案が甲府戦災復興都市計画懇談会の事前了承。1946(昭和21)年4月4日、甲府市復興計画として認定。駅前広場にあった「三角地帯」は商売上有利な地点であっただけに移転については訴訟も起こされて市政上の問題となった。完成間際の平和通り(昭和27年)の写真あり。
3.甲府市の復興計画について関連資料を調査。
※三角地帯に関する記述の概要は次のとおり。
(1)『図説甲府の歴史(山梨県の歴史シリーズ)』(郷土出版社 2000年)〈資料番号0103528451〉
・pp.244-245「複合的都市への第一歩 戦災復興都市計画」1946(昭和21)年5月に山内丈夫を都市建設部長に招き「戦災復興都市計画」を策定。立ち退き予定の地域からは、優良な立地条件なため土地建物擁護同盟、住居者保安連盟などの組織が作られ猛反対にあったため、原案の規模を若干縮小する手直しも行われた。事業着工が遅れたため、インフレにより事業費が膨張し、最終的には地方財政困窮を理由に計画は大幅に縮小された。1951(昭和26)年春、バラック建ての商店や人家が密集して甲府空襲後の雰囲気を漂わせていた甲府駅南口の「三角地帯」と呼ばれた急造の商店や飲食店が取り払われて、甲府駅前はようやく県都の表玄関としての体裁を整えた。
(2)『甲府歴史ものがたり-こうふ開府500年記念誌-』(甲府開府500年記念誌編集委員会/編集 甲府市 2019年)〈資料番号0106864333〉
・pp.305-306終戦直後の1945(昭和20)年秋から、甲府市戦災復興都市計画の作成に着手したのは山梨県。翌年5月、幅員50mの甲府駅前線を含む25路線の街路計画が内閣の承認を受けた。1947(昭和22)年5月甲府市が広路1号線に着手。着工が遅れたのは、計画の対象地域が駅前や橘町・百石町などバラック(戦災にあった人たちの仮住居)が立ち並ぶ人口密集地帯で、しかも露店や飲食店の多い商業地を貫通するためで、新聞に「復興計画に反対の嵐」と書かれるほど反対の声が強まっていた。国から出向していた甲府市建設部長山内(やまのうち)丈夫は、広路1号線の建設が県都の復興に不可欠だと考えたが、市民の反対は根強く、1948(昭和23)年11月には各路線の幅員を大幅に縮小した修正案が決定、広路1号線も幅員36メートルの街路となった。当初、1949(昭和24)年度中の完成を予定していた広路1号線だが、駅前の三角地帯にひしめく257軒の立ち退きなど課題が山積し、未舗装の道路が完成したのは1951(昭和26)年、コンクリート舗装とグリーンベルトの整備終了は1955(昭和30)年4月。復興都市計画図(昭和21年)の図(カラー)あり。
(3)『山梨県政七十年誌』(山梨県/編・発行 1962年)〈資料番号0101935773〉
・p.681 1945(昭和20)年7月の戦災を契機に新街路網計画を決定したが、市民の猛烈な反対にあい、1948(昭和23)年11月各路線の幅員縮小を余儀なくされた。紆余曲折を経て、甲府駅前線(幅員36メートル)などの新設、駅前広場の整備が行われた。
(4)『山梨県商工会議所五十年史』(甲府商工会議所/編・発行 1960年)〈資料番号0101998193〉
・pp.452-453甲府市の復興計画は、1945(昭和20)年12月の閣議で決定された「戦災地復興基本計画」に基づいて、特別都市計画として復興都市計画が進められ、1946(昭和21)年3月県・市間で検討の上、街路網計画を決定して政府へ申請、同年4月4日都市計画山梨地方委員会でも議決答申され、同年5月17日内閣から決定告示された。市民の道路拡張反対は強く、1946(昭和21)年末には市民大会も開かれて反対を決議。市では市民各方面の代表による調整委員会を設け、市民の要望も取り入れて実施することになり、1948(昭和23)年7月13日の官報告示により修正案が決定、同年11月には駅前広路は幅員50メートルから36メートルに変更するなど縮小実施された。
(5)『戦災復興誌 第9巻 都市編』(建設省/編 大空社 1991年)〈資料番号0103027157〉
・pp.93-132に甲府市の戦災都市復興計画の報告書と思われる資料あり。
・p.105の記載によると、1945(昭和20)年10月12日内務省より戦災都市復興基本方針の指示を受け、県が各種調査に着手、甲府市戦災復興都市計画を立案。1946(昭和21)年2月25日特別都市計画法にもとづき甲府戦災復興都市計画懇談会を開催、関係官民に事前了承を得た。1946(昭和21)年5月17日市民から出された意見を勘案し、戦災復興都市計画街路が決定。
・p.94整理前のⅠ.1.1号線甲府駅前付近の写真あり。
(6)『戦災復興誌 別巻 復興都市計画図編』(建設省/編 大空社 1991年)
・p.79甲府復興都市計画図(1枚)
4.インターネット調査
・国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(https://mapps.gsi.go.jp/ ※2021.6.6確認)に、1948年(昭和23年)3月31日に米軍により撮影された甲府市街地の空中写真あり。
5.「山梨日日新聞縮刷版記事データベース」を検索すると、次の記事などがヒット。
・1990(平成2)年6月27日付け19面「戦後の甲府市鮮明に 写真201点保存・寄贈」
・1990(平成2)年7月9日付け16面「三角地帯の写真発見 甲府市の宮坂さん」
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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「写真集甲府物語」編集委員会/企画・編集 , 甲府市. 甲府物語 : 市制100周年記念 写真集. 甲府市, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005678112-00 (pp.13-14) -
目で見る甲府の100年 : 写真が語る激動のふるさと一世紀. 郷土出版社, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002084379-00 , ISBN 4876631484 (p.149) -
甲府市/編 , 甲府市. 明治・大正・昭和写真集甲府90年. 甲府市, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544559-00 (p.64) -
萩原三雄, 齋藤康彦 監修 , 萩原, 三雄, 1947-2022 , 齋藤, 康彦, 1947-. 甲府市今昔写真帖 : 保存版. 郷土出版社, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007332163-00 , ISBN 4876636745 (p.35) -
甲府市/編 , 甲府市. 甲府いまとむかし. 甲府市, 1963.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544525-00 (p.88) -
甲府市市史編さん委員会/編 , 甲府市市史編さん委員会. 甲府市史 通史編 第3巻. 甲府市役所, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005678083-00 (p.218) -
甲府市市史編さん委員会/編集 , 甲府市市史編さん委員会. 甲府市史 通史編 第4巻. 甲府市, 1993.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005777881-00 (口絵p.2,p.20,pp.82-83) -
甲府市市史編さん委員会/編 , 甲府市市史編さん委員会. 甲府市史 史料編 第7巻. 甲府市役所, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005678084-00 (pp.40-41) -
甲府市市史編さん委員会/編集 , 甲府市市史編さん委員会. 甲府市史 別編 3. 甲府市, 1993.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005777880-00 (pp.460-463) -
萩原, 三雄, 1947-2022 , 秋山, 敬, 1945-2011 , 齋藤, 康彦, 1947-. 図説甲府の歴史. 郷土出版社, 2000. (山梨県の歴史シリーズ)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002878146-00 , ISBN 4876634734 (pp.244-245)
-
「写真集甲府物語」編集委員会/企画・編集 , 甲府市. 甲府物語 : 市制100周年記念 写真集. 甲府市, 1990.
- キーワード
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- 三角地帯
- 甲府駅
- 戦災復興都市計画
- 甲府市
- 都市計画
- 広道1号線
- 平和通り
- 戦後
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス「1948年(昭和23年)3月31日に米軍により撮影された甲府市街地の空中写真」 ※2021.6.6確認
https://mapps.gsi.go.jp/
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000332827