レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/09/22
- 登録日時
- 2011/01/08 02:00
- 更新日時
- 2011/01/20 16:12
- 管理番号
- 埼熊-2010-069
- 質問
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解決
木戸孝允は、「貫治」とも名乗ったようだが、そのいきさつのわかる資料を見たい。
- 回答
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木戸貫治と名乗ったいきさつについては、藩主から与えられた(藩命)とするもの、改名を願い出て許されたとするものがある。「貫治」と名乗った理由については記述のある資料は見つからなかった。
次の資料を紹介する。
(藩命とするもの)
『維新史料綱要 6 慶応元年正月-慶応2年12月』(東京大学出版会 1983)
p212「萩藩、藩士桂小五郎(孝允)ヲ木戸貫治、同高杉和助(春風東行)ヲ谷潜蔵ト改名セシム」とあり。
『史実考証木戸松菊公逸事』(妻木忠太著 有朋堂書店 1984)
巻頭p22〈略年譜〉に「九月二十九日(慶応元年) 藩主、桂小五郎の氏名を木戸貫治と改めしむ公是より木戸氏を称す」とあり。
p2「木戸氏の名称」の章に、「慶応元年公が但馬の潜伏地から虎口を免れて帰国し、藩政改革に盡力するに方って、幕府の嫌疑もあるので、藩主はその氏名を改めしめんとし・・・」とあり。
『木戸孝允 維新前夜の群像4』(大江志乃夫著 中央公論社 1984)
p166「改姓の理由も「藩命」とあるだけである。」「名前の方は、はじめ貫治、ついで準一郎、そして明治新政府の枢機に列して孝允となる」とあり。
『新選組大人名事典 上』(新人物往来社編 新人物往来社 2001)
p184〈木戸孝允〉の項
「慶応二年九月に藩主より木戸姓を贈られ、寬治、準一郎を名乗った」とあり。
(改名を願い出たとするもの)
『幕末維新の個性 8 木戸孝允』(吉川弘文館 2007)
p2「慶応元年(1865)九月に藩主に改名を願い出て、木戸貫治とすることを許された。幕府の嫌疑をうけ、その追及を避ける必要があったことによる。(「木戸松菊公逸事」)」とあり。
- 回答プロセス
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幕末・明治維新期の資料集を確認する。
木戸孝允について書かれた図書、人名事典などを確認する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『維新史料綱要 6 慶応元年正月-慶応2年12月』(東京大学出版会 1983)
- 『史実考証木戸松菊公逸事』(妻木忠太著 有朋堂書店 1984)
- 『木戸孝允 維新前夜の群像4』(大江志乃夫著 中央公論社 1984)
- 『幕末維新の個性 8 木戸孝允』(吉川弘文館 2007)
- キーワード
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- 木戸 孝允(キド タカヨシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000076314