レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20111227
- 登録日時
- 2015/10/27 12:28
- 更新日時
- 2019/03/03 12:02
- 管理番号
- 20151045
- 質問
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未解決
以前鶴岡八幡宮には第四の鳥居があったとインターネットで見たが、それは本当か。海中にあったというが。
- 回答
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海中にあったとされる四の鳥居の存在は伝説上のものと思われます。
四の鳥居とされる「浜の大鳥居」は、発掘調査ですでに海とは逆の若宮大路の地中から発見されています。
鶴岡八幡宮側の記録にも、四の鳥居の記載は発見できませんでした。
※当館で確認する限り、海中に鳥居があったと記している資料は『鎌倉大観』のみで、
『鎌倉大観』では、『廻国雑記』にある歌
「朽ちのこる鳥居の柱あらはれて由比が濱邊にたてる白波」
を第四の鳥居の根拠としています。
しかし『廻国雑記』はこれを「四」の鳥居と書いているわけではありません。
浜の大鳥居については『国指定史跡若宮大路遺跡発掘調査報告書 Ⅴ』附編の「浜の大鳥居について」が参考になります。
- 回答プロセス
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①鶴岡八幡宮の年表をチェックするが、鳥居が四基あったと読み取れる記述はない。
②17世紀末に成立した『新編鎌倉志』は、大鳥居と1・2の鳥居と東西に2基とあり全部で5基。しかし海中にはない。
③『鎌倉古絵図編』で古絵図をチェックする。刊年がはっきりしているものは17世紀末からあるが、鳥居が4基描かれているものはない。
④『鎌倉大観』(明治35年出版)の巻末地図には「四之鳥居跡」が海中に書かれている。
本文にも「若宮大路の正面の海中に昔八幡宮四の鳥居ありしが今はなし」(P83)とある。
⑤『鎌倉名勝誌』(1916年出版)には「この外若宮大路正面の海中に猶一つの鳥居があつたが今はない。俗説」とある。(P83)
⑥『鎌倉大観』で引用している『廻国雑記』を確認。歌で『朽ちのこる鳥居の柱あらはれて由比が濱邊にたてる白波」とあるが、「四の」鳥居だと明記はしていない。
⑦『現在の鎌倉』(明治45年発行)の鶴岡八幡宮や、由比ガ浜の描写にも第四の鳥居はでてこない。
⑧『祐之地震道記』(1703年)二十四日の記事に、「由比の浜に至るまでに、石の鳥居三基有」
⑨『鎌倉紀』(1680年)十四日の記事に「石の鳥居由井の浜まで三つ有」。
⑩『鎌倉謎解き街歩き』(原田寛)P86~ 鎌倉市観光協会が浜の大鳥居の遺構を海中に探したが、何も発見できなかったという記述がある。
⑪当時の新聞記事(2003.5月9日東京新聞)では、滑川河口で大石が発見されたとあるが、市の調査では浜の大鳥居と推定される木組遺構が若宮大路から発見されており、専門家は、鳥居は当初木造だったはずなので、見つかった滑川河口の大石は鳥居の遺構ではないと否定的な見解を述べている。
⑫上記の新聞記事にある『若宮大路遺跡発掘調査報告書Ⅴ』を確認する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 『御鎮座八百年記念 鶴岡八幡宮』 鶴岡八幡宮 1991年 【K1 175.9】
- 『新編相模国風土記稿 第六巻(大日本地誌大系24)』 雄山閣 平成10 【K0 291.3】
- 『覆刻 鎌倉大観』佐藤善次郎 松林堂書店発行 かまくら春秋社 昭和61 【K1 291.39】
- 『鎌倉古絵図・紀行 鎌倉古絵図編』 澤壽郎 東京美術 昭和51 【K1 291.39】
- 『鎌倉名勝誌』 佐成謙太郎 鎌倉名勝誌発行所 1916年 【K1 291.39】
- 『鎌倉市史 近世近代地誌紀行編』 鎌倉市 吉川弘文館 昭和60年 【K1 291.3】
- 『鎌倉謎解き街歩き』 原田寛 実業之日本社 2014年 【K1 291.3】P85~
- 『鶴岡八幡宮(新聞情報)1987~2012年』【k1 175】 現実より夢を建てる 鎌倉『浜の大鳥居』建設構想(2003.5)
- 『国指定史跡若宮大路遺跡発掘調査報告書 Ⅴ』 史跡若宮大路遺跡発掘調査団/編 史跡若宮大路遺跡発掘調査団 1991.3 【K1 210.2】
- キーワード
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- 鶴岡八幡宮
- 鳥居
- 浜の大鳥居
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 事実調査
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000182958