レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年05月28日
- 登録日時
- 2015/07/22 13:32
- 更新日時
- 2015/07/22 13:32
- 管理番号
- 0131224201
- 質問
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解決
高崎市大橋町は明治35年に飯塚村から分離し大橋町となったが、明治36年頃あるいは、近い時代の大橋町の人口がのっている資料はあるか。
- 回答
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当館所蔵資料のうち、高崎市の統計資料としてもっとも古いものは「高崎市統計概要」(大正4年刊)となり、大橋町の人口が記載されている。
- 回答プロセス
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当館レファレンスデータベースより、明治33年の並榎町の人口についての質問があり、そちらを参考に調査するが、いずれも明治20年以前の記載であった。
明治42年前後の刊行と思われる「高崎郷土誌」および、「大正元年高崎市勢一覧[複写資料]」に町別人口の記載なし。
群馬郡関係の資料で飯塚村の字“大橋町”の人口の記載がないか確認するも、見当たらず。
群馬県立文書館HP目録検索にて「高崎市統計概要」(明治42年刊)がヒット。文書館に問い合わせるが、町別の人口の記載はなく、また、大橋町ができた明治35年頃の公文書にもあたっていただくが、該当事項はなかったとのこと。
- 事前調査事項
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質問者が群馬県立図書館に問い合わせたところ、「高崎市史 上巻」p.170に大正6年の大橋町の人口がのっているとの回答。「大橋町とその周辺の史話と歴史」は質問者が所持しているとのこと。
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 高崎市統計概要. 群馬縣高崎市役所, 1915. (当館資料番号 110388188)
- キーワード
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- 高崎市
- 大橋町
- 人口
- 照会先
- 寄与者
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- 群馬県立文書館
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000177561