以下の資料を紹介した。
・『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980年
p429 しびらき 新開
村名は天正18年岩槻落城後、その旗下の士が浪人してここに土着し、新たに1村を開いたことによるという(新編武蔵)。
・『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』 平凡社 2004年
p150 新開村
天正一八年(一五九〇)岩付城(現岩槻市)落城後、その麾下の士が浪人してここに土着して新たに一村を開いたので村名となったと伝える。
・『土合郷土史』 並木 薫/編 土合郷土史編さん協力会 1969年
p43~ 安土桃山時代
p44~土合に土着の岩槻落城藩士
…天正十八年豊臣秀吉小田原攻めの役に(略)北方方の岩槻城は小田原北条と共に没落となれり。岩槻城陥落の当時又は前後に於いて、家臣は四方に離散したとされている。当時落城浪士十数人が秋ヶ瀬橋の袂或は昭和樋管北側に現在も現存する稲荷神社に落のびて一夜明かし色々談合の上家族持の人は土合に独身者は志木方面にと玆て二手に別れたと往時より云い伝えられている。(又一説には別記による)田島村、新開村に土着した浪士は大体以上述べた関係の人々と思われるが…
・『大日本地誌大系 14 新編武蔵風土記稿』蘆田 伊人/編集校訂 雄山閣 1981年
p130-131 新開村
新開村は天正十八年岩槻落城の後、その旗下の士浪人してこゝに土着し、新に一村を開きし故、村名とせし由土人いへり…