レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年07月08日
- 登録日時
- 2011/08/11 12:07
- 更新日時
- 2015/07/15 11:57
- 管理番号
- nerima-光が丘-0012
- 質問
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解決
グラントハイツのいわれを知りたい。グラントは人の名前なのか。
- 回答
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光が丘地区にかつてあったグラント・ハイツは昭和23年(1948年)成増飛行場跡に作られたアメリカ陸軍の家族宿舎である。アメリカ第18代大統領で親日家のグラント将軍の名をとって命名された。
●『練馬区史 現勢編』 練馬区独立三十周年記念 練馬区 1981
光が丘地区にかつてあったグラント・ハイツは昭和23年(1948年)成増飛行場跡に作られたアメリカ陸軍の家族宿舎で、グラント将軍の名をとって命名された。なぜグラント将軍の名をつけたか理由ははっきりしないが、おそらくグラントが世界一周をした帰り道、明治12年5月に日本に立ち寄った縁を考えたのであろう。しかし、日本にとって恩人の名も現代では通用せず、多くの人がグランドハイツと呼んでいた。ひろびろとした旧飛行場の跡であるからグランドと思ったのも無理はない。
グラント将軍は69年には第18代の大統領に就任した。前大統領グラント一家の来訪は維新後まだ日の浅い日本にとってはある意味大事件であり、歓迎方法は欧米流にやるのが良いだろうということになり、横浜到着の出迎え、上野公園での天皇臨御の大歓迎会などが実施された。グラントはこの好意に深く感謝した。(後略)
●『光が丘学 改訂新版』 東京都立光丘高等学校公開講座 加藤竜吾編著 2004.5
グラントハイツの「グラント」は親日家の米国第18代大統領のユリシーズ・シンプソン・グラント(Ulysses Simpson Grant)(1822-1885)に由来している。明治12年(1879年)5月に来日している。上野公園には、グラント夫妻来日記念樹と銅版のレリーフがあり、「平和を我々に(Let us have peace!)」と記してあるという。記念碑と記念樹の写真あり。
- 回答プロセス
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その他の資料
・『グラントハイツ物語』 能登方恵著 光が丘新聞社 1991
・『グラント将軍来日記事』 練馬区情報公開課より複写
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『練馬区史 現勢編』 練馬区独立三十周年記念 練馬区 1981
- 『光が丘学 改訂新版』 東京都立光丘高等学校公開講座 加藤竜吾編著 2004.5
- キーワード
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- 練馬区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089851