レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月02日
- 登録日時
- 2022/02/03 13:40
- 更新日時
- 2024/01/15 10:53
- 管理番号
- 横浜市中央2649
- 質問
-
解決
横浜駅西口の埋め立てについてわかる資料が見たい。
- 回答
-
横浜駅西口周辺は、南・北幸町の埋立工事を明治28(1895)年2月28日に着工し、
大正2(1913)年6月10日に南幸町、北幸町と命名されました。
埋立に関連する事項がわかる資料をご紹介します。
1『横浜市史稿 政治編 3』 横浜市役所/編纂 臨川書店 1985 p.701
明治28(1895)年に着工し、いまなお工事継続中であることや、これまでの
竣工総面積が5万坪に達したこと、大正2(1913)年に南幸町北幸町の字名を附したこと
(県公報の記事もあり)などが記されています。
2『横浜市会史 第2巻 明治36年~大正3年』 横浜市会事務局/編 横浜市会 1983.3
p.704「第一節 埋立完成の地域」
明治36(1903)年~大正3(1914)年頃の埋め立て事業の情況を概括できる資料は
なかったとしています。
この期間に埋立完成地で新たに町名を付した地域を列挙していますが、その年次を
もって埋立竣工と考えることはできないという記載があります。
p.709 北幸町、南幸町を命名したとあります。
3『横浜の埋立』 横浜市港湾局臨海開発部/編 横浜市港湾局臨海開発部 1992.3
p.184 年表の明治28(1895)年2月28日に南・北幸町の埋立工事着工とあります。
p.192 年表の大正2(1913)年6月10日に青木町字内海の宅地等を
字南・北幸町と改称したとあります。
4『横浜の町名』 横浜市市民局総務部住居表示課/編 横浜市市民局 1991.3
p.52「北幸一丁目・二丁目」
明治初期に内海を埋め立て、大正2(1913)年に5万坪の埋立が完成、
同年青木町に編入、命名とあります。
p.56「南幸一丁目・二丁目」
同上
5『横浜ステーション物語 そこは昔、海だった……』 岡田直/執筆・編集
横浜都市発展記念館 2008.9 p.19 「最新横浜市全図」
大正2(1913)年発行の地図で、地図右上の内海が現在の横浜駅西口(南幸町・北幸町)
付近であるとの解説が付されています。
6『鉄道と街・横浜駅』 三島富士夫,宮田道一/著 大正出版 1985.11
p.95「駅変遷図」
明治5(1872)年から昭和50(1975)年頃までの鉄道網の変化が追える地図があり、
埋立の様子が比較できます。
7『横浜駅物語』神奈川新聞/編 神奈川新聞社 1982.3
p.50 南幸町、北幸町の町名の由来に関するエピソードがあります。
p.242 年表の大正3(1914)年3月に茂木六兵衛が北幸町、南幸町の埋立完成とあります。
このほか、横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
(https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/)から「横浜市全図」を
検索していただくと、横浜駅付近が徐々に埋め立てられていく様子を地図から読み取る
ことができます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 環境工学.公害 (519 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000311719