レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/04/26
- 登録日時
- 2022/09/09 00:30
- 更新日時
- 2022/09/09 00:30
- 管理番号
- 6001056772
- 質問
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解決
大阪陸軍被服支廠の被服倉庫について書かれた資料はあるか。
- 回答
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(1)大阪陸軍被服支廠
大阪陸軍被服支廠については、以下の資料に記載されています(以下、■は図書、●は雑誌を表します。)。
■『大阪市戦災復興誌』(大阪市役所 1958)
p.509-513に「旧陸海軍用不動産利用状況調(大阪府下のみ)」の項があり、「[旧軍隊名]大阪陸軍被服支廠 [所在地]東区法円坂町 [敷地坪数]26,247 [建物延面積]6,536 [その後の使用者]大阪郵便局・同貯金局 近畿電気通信局、大阪市住宅(19,736坪)」(p.511)とあります。
■『東区史 続 第1巻』(大阪市東区史刊行委員会/編集 大阪市東区史刊行委員会 1980)
p.253に「大阪陸軍被服支廠」の項があります。
被服支廠は明治36年10月1日創設、翌37年5月3日に「大阪城東練兵場内に建築中の庁舎が落成し、ここに事務所を移した。その後、東区法円坂町歩兵第八連隊東側約二万六千余坪の地に移転した」(p.253)と記述されています。
■『東区史 続 別巻』(大阪市東区史刊行委員会/編集 大阪市東区史刊行委員会 1979)
市岡和子「大阪陸軍被服廠の思い出」(p.228-232)という手記の中に次の記述があります。
「”大阪市東区法円坂町”それは私にとって忘れられない地名である。(中略)私の初めての職場、大阪陸軍被服廠のあった場所だからである」(p.228)
「昭和20年3月13日の第1回大阪大空襲で被服廠は全焼して、建物その他は烏有に帰し(後略)」(p.232)
また、p.230に「元陸軍被服廠(現近畿郵政局資材部)」とのキャプションの付いた建物の写真が掲載されています。
■『阪神職業別電話名簿』(大阪広文館 1932)
p.77に「大阪陸軍被服支廠」の記載があり、住所は「東、法円坂外一四」とあります。
●『科学と工業7(1-12)』(大阪工業研究協会 1932)
第7巻第10号p.15(p.601)に「大阪陸軍被服支廠見学記」が掲載されており、「被服に関する総ゆる参考資料が実物に絵画に或は統計等によって陳列され」とあります。
本資料は、「国立国会図書館デジタルコレクション」の図書館送信参加館内及び個人向けデジタル化資料送信サービスで閲覧可能です。
●『なにわれきはく新聞 27』(大阪歴史博物館 2013.12)
同館学芸員の李陽浩氏による「なにわ人物誌~現代編 置塩章」と題した記事が掲載されています(p.2)。
この記事の中に次の記述がありました。
「被服廠の建物工事が行われた大正2年(1913)のことです。基礎工事のために地下を掘ったところ、地面から約2.7メートルのところで重圏文と蓮華文の瓦を掘り出しました。(中略)歴史好きだった置塩さんは、このあたりに古代の難波宮があることを確信したといいます。」
この発見がのちの難波宮発見の大きなきっかけとなったとあります。現在、難波宮跡として公園に整備されている場所は、後述する『大大阪区勢地図』「最新の東区」における「歩兵八連隊」東側にあたる場所です。
(2)大阪陸軍被服支廠の倉庫
大阪陸軍被服支廠の倉庫については、以下の資料に記載されています。
■『近代大阪の建築 明治・大正・昭和初期』(大阪府建築士会/編集 ぎょうせい 1984.3)
「年表」(p.241-314)の「大正3 1914」年の箇所に次の記述がありました。
「[建築名]大阪陸軍被服廠戦用被服庫2棟 [所在地]東区馬場町 [構造]鉄筋コンクリート、煉瓦造 [設計者]置塩章(推定) [施工者]松村組」(p.260)
■『大大阪区勢地図 市制発布五拾週年記念』(夕刊大阪新聞社 1938)
収録されている「最新の東区」の地図に、「歩兵第八連隊」の東側に「被服支廠」の記載があります。
また、同じ地図には、「大阪憲兵隊本部」の西側に、建物を示すと思われる四角形とともに「被服倉庫」との記載があります。場所は、「歩兵第八連隊」東側の「被服支廠」からは少し離れています。
『近代大阪の建築』には「東区馬場町」との記載がありましたが、この住所は「大阪憲兵隊本部」西側の方が適合するように思われます。
●『ヒストリア 171』(大阪歴史学会 2000.9)
江浦洋ほか著「陸軍大阪被服支廠跡の調査 -大阪府警本部地点における近・現代遺構の発掘調査」(p.39-48)があります。
ここで「陸軍大阪被服支廠跡」とされている場所は、上述の『大大阪区勢地図』「最新の東区」における「被服倉庫」跡地です。
被服倉庫の位置は、『大大阪区勢地図』にあるように「歩兵八連隊」東側か「憲兵隊本部」西側かのどちらかにあったのではないかと思われますが、確認した資料では判然としませんでした。
また、以下の資料も確認しましたが、大阪陸軍被服支廠に関する記述はありませんでした。
■『歩兵第八聯隊史』(歩兵第八聯隊史編纂委員会編 歩兵第八聯隊史編纂委員会 1983.8)
■『大阪歩兵第三十七聯隊史 上巻』(歩三七会/編輯 歩三七会 1976.5)
■『大阪歩兵第三十七聯隊史 下巻』(歩三七会/編輯 歩三七会 1976.5)
■『歩兵第百八聯隊史』(森岡利春/編集 歩兵第百八聯隊史発刊委員会 1976)
■『郵政百科事典』(ぎょうせい 1990.3)
p.372-373に「被服」の項がありますが、倉庫についての記載はありません。
■『郵政百年史』(郵政省/編 吉川弘文館 1971)【556/163/#】
■『郵政百年史資料 第27巻』(郵政省/編 吉川弘文館 1971)
■『十五万になつた大阪電話 62年の歴史』(日本電信電話公社近畿電気通信局 1956)
■『郵政建築:逓信からの軌跡』(日本郵政株式会社/監修 建築画報社 2008.12)
[事例作成日:2022年6月16日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 軍事施設.軍需品 (395 10版)
- 参考資料
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- 科学と工業 大阪工研協会 大阪工研協会 7(1-12) (p.601)
- ヒストリア 大阪歴史学会 大阪歴史学会 168-172 (p.39-48)
- 近代大阪の建築 大阪府建築士会∥編集 ぎょうせい 1984.3 (p.260)
- 東区史 続 第1巻 大阪市東区史刊行委員会∥編集 大阪市東区史刊行委員会 1980 (p.253)
- 阪神職業別電話名簿 大阪広文館 1932 (p.77)
- 東区史 続 別巻 大阪市東区史刊行委員会∥編集 大阪市東区史刊行委員会 1979 (p.228-232)
- 大阪市戦災復興誌 大阪市役所 1958 (p.511)
- 郵政百科事典 ぎょうせい 1990.3 (p.372-373)
- 大大阪区勢地図 夕刊大阪新聞社 1938
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000321015