レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/03/18
- 登録日時
- 2022/03/26 00:30
- 更新日時
- 2022/03/26 00:30
- 管理番号
- 6001055395
- 質問
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解決
常光寺の「八尾市(やおのいち)」について知りたい。
- 回答
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次の資料に記載がありました。
■『八尾市史 近代 本文編』(八尾市史編集委員会/編集 八尾市役所 1983)
「第一編 八尾の移りかわり 第一章 明治時代の八尾 第十一節 生活 一 河内音頭とお逮夜市」(p.235-238)に次の記載があります。
「毎年八月二十三日、二十四日は地蔵盆で、(中略)この日八尾地蔵の名で知られている常光寺では、盛んな盆踊がおこなわれ、近在から多くの人数が集まる。(中略)盆踊りは一般的には室町時代ごろから始まるとされるが、常光寺の地蔵盆踊りや市域の村の盆踊りが、いつごろ行われているかを示す記録は残っていない。江戸時代の『河内名所図会』には、常光寺の地蔵祭りが紹介されている。八尾市(いち)ともいわれ、大変多くの人々でにぎわった状況が書かれ、挿絵にもなっている。」(p.235-237)
■『中河内郡誌』(中河内郡役所/編 名著出版 1972)
「八尾市 お逮夜」(p.263-264)に次の記載があります。
「八尾市の起源につきては今考ふるに由なしされどもその行はれしは、毎歳七月二十四日の地蔵会式当日に之を行ひし事は、河内名所図会常光寺の條に詳かなり。」とあります。
また、「常光寺文書」等から「その変遷盛衰を概記すれば、常光寺は以前諸縁日ありて、人出甚だ多かりしかば、寺内村等より小屋掛をなして、店を出す者多く又おどけ芝居、浄瑠璃、相撲、小見せ物等の小屋ありしが、維新前数年に亘りて、毎年松平伊豆守等が京都へ上りし砌、大阪に立寄りその節当寺へ巡見せり。その都度大阪西役所より、水茶屋並に辻狂言等の小屋を取払ふべき旨達し来りし為めこの八尾市も漸次衰微に傾き遂に敗滅するに至れり。」とありますが、「明治七八年頃某月十一日に[図書館注:割注にて「旧暦の廿四日」とあり]」に商家が「常光寺門前より街道筋へ露店を出すに至れり。これ現今の八尾市の始めなり。」とあります。(p.263-264)
■『日本名所風俗図会 11 近畿の巻』(角川書店 1981.2)
「河内名所図会 巻之四」「常光寺」(p.344)と「八尾市(やをのいち)」(p.345)の挿絵があります。
「八尾市」の挿絵には、「毎歳七月二十四日は地蔵祭りとて,遠近群参す。(後略)」と記載があります。
■『『河内名所図会』『和泉名所図会』のおもしろさ 上方文庫別巻シリーズ』(森田恭二/編著 和泉書院 2010.2)
「26 常光寺(八尾地蔵)」(p.80-83)があり、「『河内名所図会』には、八尾地蔵尊の門前が賑わう七月二十四日の地蔵祭の様子が描かれている。この祭は『八尾市(やおのいち)』と呼ばれていた。」(p.80)とあり、「巻之四」の「八尾地蔵尊常光寺」(p.81)、「八尾市」(p.82-83)がそれぞれ掲載されています。
■『大阪伝承地誌集成』(三善貞司/編著 清文堂出版 2008.5)
「小野篁地蔵」の項(p.1212)に、「江戸時代毎年七月二四日(現在八月二三・二四日)に修される地蔵盆会は盛大、河内音頭による盆踊りは全国的名物。」(p.1212)とあります。
〔事例作成日:2022年3月18日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 10版)
- 参考資料
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- 八尾市史 近代 本文編 八尾市史編集委員会∥編集 八尾市役所 1983 (235-237)
- 中河内郡誌 中河内郡役所∥編 名著出版 1972 (263-264)
- 日本名所風俗図会 11 角川書店 1981.2 (344-345)
- 『河内名所図会』『和泉名所図会』のおもしろさ 森田/恭二∥編著 和泉書院 2010.2 (80-83)
- 大阪伝承地誌集成 三善/貞司∥編著 清文堂出版 2008.5 (1212)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 業務
- 登録番号
- 1000314082