レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年4月22日
- 登録日時
- 2022/05/31 13:00
- 更新日時
- 2023/04/08 20:25
- 管理番号
- 県立長野-22-035
- 質問
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解決
長野県と新潟県を管轄していた長野師管区司令部が昭和20年ごろに疎開を行ったかどうか知りたい。
- 回答
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長野師管区司令部の疎開について、直接言及している資料は確認できなかったため、下記の資料を紹介した。
1. 長野師官区司令部の所在地について
『わが回顧録 渦巻のなかの善意』平林盛人著 平林盛人わが回顧録刊行会 1967【N289/ヒラバ】
長野師官区司令部の司令官である平林盛人の自伝。
平林盛人が長野師官区司令官として着任する部分で、p.233「司令部は市西北の長野女学校(今の西高校)」と記述あり。
『[長野県長野西高等学校]六十年のあゆみ』長野県長野西高等学校編・刊 1956【N376.4/3】
長野県長野西高等学校の学校史です。
p.56に「更に二十年三月十四日には学校校舎が長野師管区司令部に徴用され」とあり。
また、巻末年表のp.217昭和20年の項目の中に「3・14 長野師管区司令部に徴用されたため校舎訣別式挙行」とあり。
なお、『[長野県長野西高等学校]六十年のあゆみ』の奥付で確認できる長野西高等学校の地籍は「箱清水」である。
また、目次や年表を確認したが、昭和20年以降に同校が移転した旨の記述は確認できないため、昭和20年当時の地籍も箱清水でよいと思われる。
2. 長野師管区司令部の設置について
『わが回顧録 渦巻のなかの善意』(前掲)の平林盛人が長野師官区司令官として長野新潟両県民に向けた放送で「師管区の新設と司令官としての新任の挨拶を述べ」とあり、昭和20(1945)年に新たに設置された部署であることが確認できる。
また、 『官報』1945年01月24日 軍令陸第1号の陸軍管区表改定に「東部軍管区 長野師管 長野連隊区 長野県」[最終確認日 2023月03月29日]とあり、施行日が2月11日とある。
- 回答プロセス
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1. 長野県全体の昭和史に関わる長野県の郷土資料分類 N209.7、軍事に関わる長野県の郷土資料分類N390からN399の書架を見ていく。
2. 「信濃毎日新聞データベース」で「長野師管区司令部」「箱清水 陸軍」のキーワードで検索するも所在地にかかわる記事は確認できない。
3. 『長野県職員録』に県内市町村や県内に所在のある国の出先機関などの掲載がないか確認する。
『1945年8月14日〜15日時点の長野県下の軍隊・軍事施設』篠ノ井旭高校郷土研究班[編]篠ノ井旭高校 1992【N395/1】
p.2-7に該当軍事施設の一覧の掲載があり、長野西高等学校の前身である長野女学校に長野師管区司令部があったことが確認できた。
4. 長野女学校および、長野西高等学校について調べる
『[長野県長野西高等学校]六十年のあゆみ』長野県長野西高等学校編・刊 1956【N376.4/3】
<調査資料>
今回の調査で参照したが、回答につながる記述は確認できなかった。
・『目で見る北信濃の100年』越志徳門等著 郷土出版社 1991【N210/16】
・『長野・上水内の今昔』駒込幸典監修 郷土出版社 2003【N212/377】
・『日本陸海軍八十年』国書刊行会 1978【392/31】
・『信州の昭和史 下巻』毎日シリーズ出版編集編 毎日新聞社 1982【N209.7/8/2】
・『戦時下ルポ 長野防空監視隊管内の防空監視哨苦難の事実を後世に残す』田川強 2008【N391/5】
・『日本陸海軍八十年』国書刊行会 1978【392/31】
・『長野県軍人援護史』軍人援護会長野支部編・刊 1942【N390/1】
昭和16年の刊行のため、参考になる記述は確認できなかった。
・『長野県遺族会誌』長野県遺族会編・刊 1981【N369/99】
・『長野市誌 第6巻 歴史編近代二』長野市誌編さん委員会編集 長野市 2000【212/318/6】
・『長野県史 通史編 第9巻』長野県編 長野県史刊行会 1990【N209/11-4/9】
・『長野県史 近代史料編 第4巻』長野県編 長野県史刊行会 1988【N209/11-1/4】
p.145に「一〇一 昭和二十年 長野聯隊区司令部県下設置部隊名簿」の翻刻が掲載されており、末尾に「(東京都目黒区 防衛研究所図書館蔵)」とあり。長野連隊区司令部の掲載はなく、長野師管区司令部の所在は「長野市」とのみ記載されている。
・『長野県政史 第2巻』長野県編・刊 1972【N317/74/2】
索引から確認できた「長野連隊区司令部」の記載のあるp.559、p.599を参照しましたが、所在地に関わる記述は確認できなかった。
・『陸軍軍戦備 (戦史叢書)』防衛庁防衛研修所戦史部著 朝雲新聞社 1979【393/26/55】
・『陸海軍年表 (戦史叢書)』防衛庁防衛研修所戦史部著 朝雲新聞社 1980【393/26/56】
・『本土決戦準備 1(戦史叢書)』防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1971【393/26/38-1】
・『ともに生きるよろこび』藤森さと 『ともに生きるよろこび』刊行会 1989【N289/ふじも】
回答中で紹介した藤森さと氏による「信濃毎日新聞」の連載記事をまとめた書籍。該当部分はp.58-60、写真は口絵で紹介されている。
・『長野県職員録』長野県編・刊 1943【N280.3/5/'43】
・『学校要覧 長野清泉女学院高等学校 昭和48年度』長野清泉女学院高等学校編・刊 1973【N376.4/106】
・『戦争にまきこまれた学校 国民学校451校の場合』篠ノ井旭高校郷土研究班編・刊行 1989【N209.7/11】
回答で紹介した『戦争にまきこまれた学校』の調査の途中経過をまとめたもの。
・『命ありて再び帰るふるさとは 戦争に巻き込まれた学校 高校の場合』篠ノ井旭高校郷土研究班編 篠ノ井旭高校 1993【N375/172】
回答で紹介した『戦争にまきこまれた学校』の調査の中等学校に関する部分をまとめたものと顧問がアジア・太平洋戦争に関係する場所を訪ねた記録がまとめられている。
・土屋光男「一九四五年八月十四日~十五日時点での長野県下の軍隊・軍事施設(北信の場合に限って)」
『長野が空襲された』長野空襲を語り継ぐ会編・刊 1995【N960/121a】p.62-65所収
篠ノ井旭高校郷土研究班顧問による報告。回答中の『1945年8月14日〜15日時点の長野県下の軍隊・軍事施設』の北信関係部分の掲載あり。
・『長野 第57号 太平洋戦争特集号』 1974
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 参考資料
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平林盛人著 , 平林, 盛人. わが回顧録 : 渦巻の中の善意. 東京 : 平林盛人わが回顧録刊行会, 1967.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I000716307-00 -
長野西高等学校/編 , 長野西高等学校 , 長野西高等学校. [長野県長野西高等学校]六十年のあゆみ. 長野県長野西高等学校, 1956-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059397887-00
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平林盛人著 , 平林, 盛人. わが回顧録 : 渦巻の中の善意. 東京 : 平林盛人わが回顧録刊行会, 1967.
- キーワード
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- 陸軍--日本--歴史--昭和前期
- 長野師管区司令部
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 長野連隊区司令部が昭和20年ごろに疎開を行ったかどうか知りたい(県立長野-22-033)[最終確認日 2023年03月29日]と同一事例。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000316701