レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年10月25日
- 登録日時
- 2024/01/05 16:32
- 更新日時
- 2024/01/12 23:06
- 管理番号
- 県立長野-23-146
- 質問
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解決
『長野県町村誌 第2巻東信編』の「猿窪村」に「庄司」に係る記述はあるか。ルーツのようなものを知りたい。
- 回答
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『信州の苗字』笹部武安著 郷土出版社 1988【288/サ】p.38に、25世帯から30世帯はあると思われる苗字の中に、中信地域(松本を中心に白馬・大町から木曽まで)の多い苗字として「庄司」があった。
また、『長野県の名字』森岡浩著 しなのき書房 2008【288.1/モヒ】p.14に、職業に由来する苗字で、公的な職業が名字になったものの一つとして、「しょうじ」(庄司、庄子、東海林)があげられているが、どちらの資料も、佐久の庄司姓を取り上げて解説したものではない。
依頼の『長野県町村誌 第2巻東信編』 長野県編 長野県町村誌刊行会1936 【N290/33/2】p.2232-2235「猿窪村」に、沿革、字地、旧跡などの記述があるが、「庄司」に係る記述は確認できなかった。[最終確認2024.1.6]
『新編信濃史料叢書 第8巻』所収の「四鄰譚藪(しりんだんそう)」は、江戸時代の佐久郡の吉沢好謙が著した佐久郡の沿革と地誌で、古文献、古文書を例証として詳記している史料。享保8年から元文元年頃の成立と考えられている。この巻之三、巻之四に大井荘の沿革と変遷が記されている。大井荘は岩村田を中心とした荘園で、猿久保村は岩村田と隣接する地域で、明治22年(1889年)には合併により岩村田町となっている。この中に、庄司氏についての記述は確認できなかったが、巻之三には、猿久保村について記述があった。p.341に
猿久保村、さるつほと書たるありと、くほとつほと通す、尾州田楽久保を、てんかくつほといふに同
じ、或云、平賀入道諸城主の会盟をつかさとりて、申楽を置くと云、或ハさいの神を祭て、猿田彦の名
に拠といふ、皆信しかたし、猿久保村の西に、中田塚田といふ辺、古代の地なるへしや、大井郷申西に
あたる也、其北に西の窪といへるも、是にならひたる地なるへし、
とある。また、p.345の巻之四 の大井庄の守護の項では
按、大井と根井ハ接地、疑ハ根井行親庄司たるか
という記述があったが、ここで使われているは「庄司」は職名と思われる。
なお、『日本国語大辞典 第7巻』小学館 2001 【813.1/シヨ/7】の「しょうじ」には、
荘園領主から任命され、荘園を管理し、荘園内の一切の雑務をつかさどった役人。荘官。荘のつか
さ。
とあった。
- 回答プロセス
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1 利用者指定の資料『長野県町村誌 第2巻東信編』を確認する。これは、長野県図書館等協働機構が運営する「信州史料アーカイブ」の「『長野県町村誌』と明治初期の村絵図」でも公開している。[最終確認2024.1.6]
2 『信州の苗字』『長野県の名字』『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20 長野県』で「庄司」を探すが、記載はない。
3 『姓氏家系大辞典 第2巻』には、職名が由来とも記述があったが、長野県に関する記述はない。
4 『北佐久郡志』北佐久郡役所編・刊 千秋社 1997(1915刊の復刻)【N222/127】については、国立国会図書館デジタルコレクションで、1915年発行のものがインターネット公開されている[最終確認2024.1.6]。この資料の内容を「庄司」で検索すると、7件ヒットする。「米持芦田氏」として、芦田城主の米持氏が討死した旨の記述が主なもので、「米持庄司」という記述になっているため。この「庄司」は職名と思われる。庄司氏、もしくは字名としての「庄司」の記載は確認できなかった。
『北佐久郡志 第2巻 歴史』 北佐久郡志編纂会編・刊 1956【N222/12/2】を調べたが、庄司氏、もしくは字名としての「庄司」の記載は確認できなかった。また、同じように国立国会図書館デジタルコレクションで検索したが、庄司氏、もしくは字名としての「庄司」の記載は確認できない。この資料は、国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスで公開している。
5 『長野県史』についても、上記と同じように検索する。ヒットのうち、明治以降の人物の姓名の名前(折井庄司氏)が大半となっていた。そのほかは、職名としての庄司と思われ、苗字の下についた状態で記されている。『長野県史』は、国立国会図書館内での限定利用となっている。利用者の近隣の図書館の所蔵状況を確認した。
6 全ページの詳細な調査はレファレンスの範疇を超えるため、『佐久市志 歴史編2』佐久市志編纂委員会編 佐久市 1993【N223/69/3-2】について、荘園の発生から戦国期までを目を通した程度だが、庄司氏についての記述は確認できなかった。
7 佐久地域の荘園等の開拓の変遷について書かれた『佐久の開拓史』菊池清人著 櫟 1988 【N223/70】には、庄司氏の記述は確認できなかった。p.145に
荘園の土地人民は本家や領家の所有であったが、実際の仕事は荘園在住の荘司(荘の役人)または下
司(げす)という役人にまかせてあった。佐久には伴野庄と大井庄等の荘園があった。
とある。同じ著者の『佐久の人物と姓氏』菊池清人著 櫟 1996 【N288/159】には、佐久地域で活動した一族、人物が時代ごとに書かれている。江戸時代以前に活動に重きを置いた著作になっているが、特定の人物だけでなく、離散した佐久武士の一族も加えて記している。しかしながら、ここにも庄司氏は確認できない。
<調査資料>
・『長野県歴史人物大事典』 神津良子編 郷土出版社 1989 【N283/13】
・『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20 長野県』角川書店 1996 【288.1/カド/20】
・『長野県町村誌 2 東信篇』長野県編 郷土出版社
(長野県町村誌刊行会 1936年発行の復刻)【N290/291/3】
・『南佐久郡誌』南佐久郡役所編 千秋社 1997(1919年 南佐久郡役所発行の復刻版)【N223/90】
人物編収録の人物に、「庄司」姓の人物はいない。
・『佐久市志 歴史編3』佐久市志編纂委員会編 佐久市 1992【N223/69/3-3】
・『姓氏家系大辞典 第2巻』 太田亮編 角川書店 1976【288.1/オア/2】
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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- 長野県編. 長野県町村誌 第2巻東信編. 長野県町村誌刊行会, 1936. (【N290/33/2】)
- 笹部武安著. 信州の苗字. 郷土出版社, 1988. (【288/サ】)
- 岡浩著. 長野県の名字森. しなのき書房, 2008. (【288.1/モヒ】)
- キーワード
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- 庄司氏
- 苗字
- 佐久市
- 佐久郡猿久保村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344377