レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年01月23日
- 登録日時
- 2021/09/07 15:52
- 更新日時
- 2023/11/18 14:59
- 管理番号
- 中野1550
- 質問
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解決
宝仙寺から桃園緑道附近に「犬坂」という坂があるのだが、その坂の名前の由来を知りたい。
綱吉時代の犬小屋に関係しているか。
- 回答
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坂の名前の由来が載った資料は見つかりましたが、犬小屋に関係しているという情報は見つけられませんでした。
「犬坂」という名前の由来については、【資料1】に鷹狩りの際、将軍家の猟犬がたびたび野犬に襲われるので、野犬を繋いでおくための場所であったことからついた名前となっています。この他、いくつか資料にあたりましたが由来はすべて同じでした。
補足として、【資料2】の論文に、将軍が鷹狩りをする際邪魔にならないよう、周囲の犬を繋がせていたことについて書かれています。
【資料1】『中野町誌』中野町教育会/編,1933年(M25/A)
https://archive.nakano-library.jp/d_archive/802207934/
p.516(579コマ) 「昔将軍家の狩猟の用犬、時之野犬に咬傷せらるることあるより、その都度野犬をつなぎおきし所なり」
【資料2】「吉宗政権の犬政策」根崎光男/著,『人間環境論集』16巻2号,2016年
法政大学機関リポジトリ https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=12632&item_no=1&page_id=13&block_id=83
[最終アクセス:2021年9月7日]
- 回答プロセス
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『角川日本地名大辞典 13』角川日本地名大辞典編纂委員会/編,角川学芸出版,2009年(R291.03/カ/13)
p.99「昔将軍家の狩猟の用犬、時之野犬に咬傷せらるることあるより、その都度野犬をつなぎおきし所なり」
出典は『中野町誌』。
『中野町誌』中野町教育会/編,1933年(M25/A)
p.516 上記の記述のみ。原典などの情報なし。口伝か。
『江戸の坂』山野勝/著,朝日新聞社,2006年(M21/B)
p.304 犬小屋とこの坂との関連はないらしいとの記述。由来についてはほぼ同じ。
「(歴代将軍が遊猟に訪れた際に)飼育犬を襲う野犬が捕獲され、坂下にその収容小屋があったので坂名になったという」とある。
『東京の坂道』石川悌二/著,新人物往来社,1971年(N54/D)
p.239 由来は『中野町誌』出典。場所についての記述あり。老僧の話として昔は場所が異なっていたよう。
『堀江家文書(絵図)一』中野区立中央図書館,1997年(M8/A/1)
S5・S6の中野村絵図を見るが、犬坂の由来となりそうな情報は得られず。
×『青梅街道周辺地域 中野区民俗調査第3次報告』(P2/A)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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【資料1】中野町誌. 中野町教育会, 1933
中野区立図書館デジタルアーカイブ https://archive.nakano-library.jp/d_archive/802207934/ -
【資料2】根崎 光男. 吉宗政権の犬政策. 法政大学人間環境学会, 2016.1. 人間環境論集 = The Hosei journal of humanity and environment 16(2) p. p.158-133, ISSN 13453785
https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=12632&item_no=1&page_id=13&block_id=83
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【資料1】中野町誌. 中野町教育会, 1933
- キーワード
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- 犬坂
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304350