レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/07/19
- 登録日時
- 2013/12/28 00:30
- 更新日時
- 2013/12/28 00:30
- 管理番号
- 横浜市中央2325
- 質問
-
解決
原三溪が昭和12年ごろ息子を亡くしたとき開いたお茶会の
様子や開催までのいきさつが知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料から次の資料をご紹介します。
1 『三溪園100周年原三溪の描いた風景』 三溪園保勝会/編 神奈川新聞社
76頁「昭和十二年八月 六日 長男 善一郎脳溢血で逝去(享年46歳」)とあり、
同月の項に「長男 善一郎を追悼するため、月華殿、金毛窟にて朝五時より
浄土飯の茶事を催す。」とあり、客と開催日がまとめられています。
124頁「三溪園浄土飯茶事」の項に「(突然の長男の死に心配する友人たちに対して
三溪は茶によって心中を表した)」とあります。
2 『原三溪物語』 新井恵美子/著 神奈川新聞社 2003
256頁に 原三溪の子息善一郎の訃報を三溪が聞いたのは
「昭和12年八月六日の夕方」の旨、記述があります。
264頁「八月十九日、 三溪は不思議な茶会を開いた。
客は二人の男性である。善一郎の親友であった
和辻哲郎と谷川徹三である。」
267頁「三溪の茶会記によれば、昭和十一年八月二十四日、
寒月庵での浄土飯茶会が最初であった」
「八月の早朝に限られたこの茶会が息子の死の季節と重なったとき、
三溪は谷川たちの茶会を含め、六回の浄土茶会を催した。客の総数は
二十一名に及んだ」と記述があります。
3 『 近代日本画を育てた豪商原三渓 有隣新書』 竹田道太郎/著 有隣堂 1981
141頁「昭和十二年八月六日、そのとき妻屋寿とともに箱根芦の湯の別荘、去来山房に
滞在していた富太郎は、世も更けて床に就いてから善一郎の死報を、
横浜の本邸から受けたのだった。」
143頁「初七日の茶会」に「善一郎の死後一週間経ったとき、和辻哲郎、谷川徹三の
二人を招いて催した茶会のことを谷川が次のように『茶の美学』に
書いている。」として谷川氏の文章を引用をし、当日の様子を記述しています。
*引用元資料:『茶の美学』谷川徹三 淡交社 1977
133頁「道具もまた生きものである」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000142745