鉱毒悲歌はお問い合わせの内容のもの以外に複数伝承があり、それらの総称としても「鉱毒悲歌」という名称が使用されるようです。「救現」創刊号掲載の歌と同じ歌詞を持つ歌をお調べしたところ、「怨の焔」「鬼退治」等の別名が確認できました。歌詞は、ブックレットに掲載されているものが全文のようです。
調査結果の詳細は以下のとおりです。
1 お求めの鉱毒悲歌(「怨の焔」「鬼退治」)について
出典や作者の検証の参考となりそうな資料をご紹介します。作者は合作として複数の人物が挙げられていますが、資料により人物の組み合わせが異なっていました。
①『館林双書 第2巻』(館林市立図書館/編、発行 1971)
p.280-322「鉱毒悲歌」の項に、11種の歌が掲載されています。
お探しの歌は、「怨みの焔 鉱毒殺人の悲歌 渡良瀬壮進団編輯」として収録されていました。(p.286-288)
作者は『救現 創刊号』同様に「大出喜平」「山本栄四郎」「永島与八」、出版年は明治31年とあります。
また、本書にはp.167-186「鉱毒事件秘録と悲歌について(布川了/著)が所収されています。
「(3)怨の焔(購読殺人の悲歌)について」にて、作者や出典の年代等について検証されていますのでご確認ください。(p.182-183)
②「栃木史心会報 第2号」(栃木史心会/編、発行 1969)
p.80-81「渡良瀬壮進団編輯 怨の焔 鉱毒殺人の悲歌」として①と同じ出典資料の昭和11年再版を収録しています。
また、p.51-66「足尾銅山鉱毒事件研究会(速記録)」(速記:前田惣吉 ゲスト:平間正一郎・島田清・恩田正一)の項があり、「渡良瀬壮進団「怨のほのを」」と見出しを立て、当時の回想が掲載されています。(p.61)
当館はこの会報を以下のように合冊製本して保管しています。
・『栃木史心会報 栃木史心会会報 第1号~第5号』(栃木史心会/編、発行 1968)
③「鉱毒文学の源流 : 「鉱毒悲歌」五篇」(天野茂/著)※『日本文学 22巻 2号』(日本文学協会編 1973)所収
当館未所蔵資料ですが、インターネット上で公開されています。
以下のURLよりPDFをダウンロードすることでご自宅からご確認いただけます。
(参考)総合学術電子ジャーナルサイト「J-STAGE」より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/22/2/22_KJ00010026827/_article/-char/ja/p.64-67「一 怨の焔―鉱毒殺人の悲歌―」として掲載されており、出典には、壮進団編輯「怨みの焔 鉱毒殺人の悲歌」、明治31年発行等とありますが、作者の記載はありません。
作者、時代背景、録音等について考察された解題が併記されていますので併せてご確認ください。
④『板倉町史 別巻1』(板倉町史編さん室/編 板倉町史編さん委員会 1978)【館内】
p.417-428「第二章 原資料篇 第五節 鉱毒悲歌と川俣(一)足尾銅山鉱毒悲歌 九篇」の項があります。
「怨の焔―鉱毒殺人の悲歌―」として収録されています。(p.421-422)
p.423 註4によれば、出典は壮進団発行のビラで、作者は「大出喜平」「山本栄四郎」「青木金次郎」とあります。発行は明治33年です。
また、p.422-423には「鬼退治」として別の歌詞が掲載されており、「怨の焔―鉱毒殺人の悲歌―」ともにビラに掲載されていたものとのことです。
このほか、この資料の巻頭に足尾鉱毒悲歌の譜面が2種紹介されています。(いずれも今回お探しの歌詞のものではありません。)
⑤『足尾鉱毒惨状画報』(松本隆海/編 青年同志鉱毒調査会 1901)
明治34年発行資料の複製を製本したものです。
p.16「第八圖 麥田の惨状」の項に「鬼退治」としてお求めの歌詞が掲載されています。
作者は「大出喜平」「山本栄四郎」「青木金次郎」とあります。
なお、紹介資料のうち③⑤は、「田中正造全集月報16」(田中正造全集第4巻付属、 1979年11月)に所収の「鉱毒悲歌と松岡荒村のことなど」(天野茂/著)を元に確認しました。元の記事の内容は鉱毒悲歌の時代背景等に関するものです。
当館は全集の月報を合冊製本して保管しており、以下の資料をご利用ください。
・『田中正造全集月報 1~20』(田中正造全集編纂会/編 岩波書店 1977)
2 補足情報
調査の過程で関連情報を得ました。
・『田中正造全集 第15巻』(田中正造全集編纂会/編 岩波書店 1978)
巻末「解題 二(三)群馬県邑楽郡関係町村 大島村」の項に、青木金次郎、大出喜平、山本栄四郎、「西谷田村」の項に永島与八の略歴が掲載されています。(p.686-866)
大出喜平の項で、「渡良瀬壮進団の「国土の興亡」「怨の焔」「鬼退治―鉱毒殺人の悲歌―」などは喜平、山本栄四郎、永島与八の手になったものといわれる。」と記されています。
・『田中正造全集 第13巻』(田中正造全集編纂会/編 岩波書店 1977)
田中正造の日記をまとめた巻です。
明治45年2月10日頃に、「〇大出喜平氏 歌謡を造り、歌わしめて数万人民の精神振ふ。」と記されていますが、タイトル等はありませんでした。(p.83)
・『鉱毒事件の真相と田中正造翁』(永島与八/著,田中霊祠奉賛会/編 明治文献 1971)
p.319-337「(二十八)第三回大擧上京」の項に、鉱毒悲歌の歌われた状況等を知る上で参考となる記述がみられます。
今回お求めの歌とは別の歌を取り上げ、「道中我々一行は泣くにも泣かれず、左の悲歌を謳ひつゝ足並み揃ひて進行したのであつた。」等と状況が記されています。
また、当館で契約する「下野新聞データベースplus日経テレコン」を検索したところ、以下の記事を確認しました。
・2013年7月14日地域面「『鉱毒悲歌』あす復活 結城 小口一郎展で42年ぶり」
小口一郎没後35年展、田中正造没後100年記念展の最終日に「怨の焔」が披露されると報じられています。
また、当日の音源は映画「鉱毒に追われて」の挿入歌として使用する予定とも記述されています。
映画「鉱毒に追われて」のDVDは当館に所蔵はありませんが、佐野市立図書館に所蔵されているようです。
利用方法等は、佐野市立図書館に直接ご確認ください。
(参考)
https://ilisod001.apsel.jp/sano-lib/disp/id/415078・2013年7月16日地域面「115年前の叫び、歌に込め 最終日「鉱毒悲歌」を披露」
小口一郎没後35年展、田中正造没後100年記念展の最終日に「怨の焔」が披露されたと報じられています。
3 その他
以下の資料は、お調べしましたがお求めの情報は確認できませんでした。
・『佐野市史 資料編 3(近代)』(佐野市史編さん委員会/編 佐野市 1976)
・『近代足利市史 別巻(史料編 鉱毒)』(足利市史編さん委員会/編 足利市 1976)
・『田中正造の生涯』(林竹二/著 講談社 1976)
・『田中正造とその周辺』(赤上剛/著 随想舎 2014)
・『しもつけの唄』(下野新聞社/編、発行 1980)
・『明治両毛の山鳴り 民衆言論の社会史』(田村紀雄/著 百人社 1981)