レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年03月13日
- 登録日時
- 2013/05/30 16:48
- 更新日時
- 2022/06/02 16:21
- 管理番号
- 鎌中-201317
- 質問
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解決
源頼朝は、なぜ鎌倉に幕府を開いたのか。
- 回答
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以下の三つの理由が指摘されています。
◆源頼義(みなもとの よりよし)以来、源氏にゆかりの深い地であったから。
◆三方が山に囲まれ、一方が海という守りやすい地形であったから
◆鎌倉は相模国府から三浦半島を経由して房総半島に渡海する際に中継地点となる交通の要衝であったから
- 回答プロセス
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①分類番号【210.4】(日本中世史)の棚を中心に本を探す。
②鎌倉幕府の公的歴史書『吾妻鏡』を見る。
『吾妻鏡』 治承四年(1180年)九月九日条に、千葉介常胤(ちばのすけ つねたね)が、
今いる場所は要害の地でなく、源氏にゆかりのあるところでもないので、鎌倉に行くよう勧めた、という記述がある。
近年の研究では、鎌倉の地が交通の要衝であったからという指摘もある。
源氏と鎌倉の関係については、『国史大辞典』の「鎌倉」の項など。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 日本 (291)
- 参考資料
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- 『国史大辞典』 吉川弘文館 【R 210】
- 『かまくら子ども風土記』 鎌倉市教育委員会 平成21
- 『現代語訳 吾妻鏡1』 五味文彦ほか 吉川弘文館 2007
- 『鎌倉の豪族1』 野口実 かまくら春秋社 1983年
- 『京・鎌倉の王権』(日本の時代史8) 五味文彦編 吉川弘文館 2003年
- 『中世都市鎌倉 遺跡が語る武士の都』 河野眞知郎 講談社 1995年
- 『鎌倉歴史散歩』 奥富敬之 新人物往来社 2001年
- 『頼朝と義時』 呉座勇一 講談社現代新書 2022年 P68 , ISBN 9784065261057
- 『中世都市鎌倉を歩く 源頼朝から上杉謙信まで』松尾剛次 著 中央公論社, 1997. (中公新書)P5~6 , ISBN 4121013921
- キーワード
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- 鎌倉幕府
- 源頼朝
- 源氏
- 鎌倉
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000131834