レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20220831
- 登録日時
- 2023/11/02 00:30
- 更新日時
- 2023/11/02 18:38
- 管理番号
- 中央-2023-06
- 質問
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解決
テレビドラマ等で聞く「神君家康公」という徳川家康の呼び名は、実際に江戸時代(2代将軍秀忠以降)に使われていたのか。それとも明治時代以降の言葉なのか。
- 回答
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江戸時代の用例と思われるものが複数見出せた。徳川秀忠(1579-1632(在職:1605-1623))の頃の史料は見出せなかった。
「次世代デジタルライブラリー」(国立国会図書館 https://lab.ndl.go.jp/dl/ )をキーワード<神君家康公>で全文検索。
データ上、出版年がはっきりしているもので最も古いものは1876(明治9)年の『徳川天一坊一代記』だが、年代不明の資料があったためそれぞれ確認した。
「国書データベース」(国文学研究資料館 https://kokusho.nijl.ac.jp )にて、成立年等が江戸時代とされているものを古い順に紹介する。
情報1~5のとおり「国立国会図書館デジタルコレクション」にてインターネット公開されているが、いずれも写本である。
情報1
『武家勧懲記 壹』( https://dl.ndl.go.jp/pid/1367106 )
5コマ目左ページ2行目に「大神君家康公」という記載がある。
「国書データベース」によると、成立年は1675(延宝3)年。
国書データベースのURL:https://kokusho.nijl.ac.jp/work/480488
情報2
『増補日光邯鄲枕』浪華隠士著( https://dl.ndl.go.jp/pid/2538631 )
13コマ目左ページ4行目に「東照神君家康公」という記載がある。
「国書データベース」によると、写本として写されたのは1762(宝暦12)年( https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100252486 )。
情報3
『鶯宿雑記 巻392-393』[駒井乗邨][編]( https://dl.ndl.go.jp/pid/10301610 )
3コマ目左ページ8行目に「神君家康公」という記載がある。
「国書データベース」によると、成立年は1815(文化12)年。
国書データベースのURL:https://kokusho.nijl.ac.jp/work/727424
情報4・5
『新茶教[1]』駿河屋次兵衛編( https://dl.ndl.go.jp/pid/2573183 )
『新茶教[3]』駿河屋次兵衛編( https://dl.ndl.go.jp/pid/2573185 )
[1]の29コマ目左ページ4行目と、[3]の40コマ目右ページ2行目に「神君家康公」という記載がある。
「国書データベース」によると、成立年は1861(文久元)年。
国書データベースのURL:https://kokusho.nijl.ac.jp/work/3098940
また、「神君」「神大君」のみの呼称であれば、以下のとおり更に古い資料にも記載を見出せる。
資料1
『神君家康の誕生 東照宮と権現様』
都立図書館蔵書検索を件名(資料の主題を表すもの)<徳川家康>で検索し、ヒットした資料のうちの1冊。
p.157-168「東照宮信仰の展開 神君家康」
五代将軍綱吉の時代に、徳川将軍家として初めての公的な家史『武徳大成記』が作成され、その中で家康は「大神君、その仁は天のごとく、智は神の如し」と記されたとある。(p.161)
また、以下のような記述もある。
「「神君」の語は、寛文十年(一六七〇)に林鵞峰によって完成された『本朝通鑑』などにも見え、(後略)」(p.162)
「寛文二年(一六六二)に刊行された『羅山林先生文集』所収の「寛永戊辰日光山斎会記」には、寛永五年(一六二八)の家康十三回忌について「皇考神君ノ十三周忌」と記され、これが当初からの表現であるなら、羅山は寛永五年時点で「神君」の語を使用していたことになる。」(p.162)
『本朝通鑑』『羅山林先生文集』は、国立国会図書館デジタルコレクションにてインターネット公開されている。(情報6、7)
情報6
『本朝通鑑 第2(国書刊行会本)』林恕撰 国書刊行会 1918( https://dl.ndl.go.jp/pid/945842 )
例えば62コマ目左ページ1~2行目に「大神君改御諱元康。而號家康。」という記載がある。
情報7
『羅山林先生文集 巻1』京都史蹟会編 平安考古学会 1918( https://dl.ndl.go.jp/pid/957400 )
1662(寛文2)年の版本を翻刻した資料。141コマ目右ページ下段1行目に「皇考神君ノ十三周忌」という記載がある。
図書館が有料契約する事典類のデータベース「ジャパンナレッジ Lib」をキーワード<神君家康公>で全文検索したところ、江戸時代の元禄年間(1688-1704年)に出版された『本朝食鑑』の書き下し(東洋文庫)がヒットした。(資料2、3)
ただし、漢文の影印本(資料4、5)を確認したところ、いずれも「神君家康公」ではなく「神大君」という記載だった。
各資料の該当部分は以下のとおり。
資料2 『本朝食鑑 2』p.151「我が神君家康公の養鶴は」
資料3 『本朝食鑑 5』p.311「我(わたし)の聞いたところでは、神君家康公の草創の始め」
資料4 『本朝食鑑 上』p.450「我カ神大君ノ之養鶴」
資料5 『本朝食鑑 下』p.959「我レ聞ク 神大君草創ノ之始メ」
【調査に使用した主なデータベース類】(都立図書館が契約するデータベースには*を付す。)
・「TOKYOアーカイブ」(東京都立図書館)https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/top
・「国立国会図書館オンライン」(国立国会図書館)https://ndlonline.ndl.go.jp/
・「国立国会図書館デジタルコレクション」(国立国会図書館) https://dl.ndl.go.jp/
・「次世代デジタルライブラリー」(国立国会図書館)https://lab.ndl.go.jp/dl/
・「国書データベース」(国文学研究資料館)https://kokusho.nijl.ac.jp
・「Google Books」(Google)https://books.google.co.jp/
・「ジャパンナレッジ Lib」(ネットアドバンス)*
以上、インターネット情報等の最終検索日及び最終アクセス日は2023年9月20日。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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- 【資料1】神君家康の誕生 東照宮と権現様(歴史文化ライブラリー 256) / 曽根原 理/著 / 吉川弘文館 / 2008.6 <175.9/5156/2008> , ISBN 978-4-642-05656-4 (p.157-168)
- 【資料2】本朝食鑑 2(東洋文庫 312) / 人見必大/[著] 島田勇雄/訳注 / 平凡社 / 1977.7 <4999/10/2> (p.151)
- 【資料3】本朝食鑑 5(東洋文庫 395) / 人見必大/著 島田勇雄/訳注 / 平凡社 / 1981 <4999/10/5> (p.311)
- 【資料4】本朝食鑑 上(日本古典全集 [第111]) / 正宗敦夫/編纂校訂 / 現代思潮社 / 1979 <0810/12/111> (p.450)
- 【資料5】本朝食鑑 下(日本古典全集 [第112]) / 正宗敦夫/編纂校訂 / 現代思潮社 / 1979 <0810/12/112> (p.959)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000340440