レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/09/26 13:37
- 更新日時
- 2023/11/01 16:52
- 管理番号
- 北九2023八幡13
- 質問
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解決
戦時中に日本製鉄の筥崎丸という船がありました。その船が沈没したときの詳細を知りたいです。
- 回答
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『世紀をこえて 八幡製鉄所の百年』、『年表太平洋戦争全史』の2点にそれぞれ該当部分があり、提供しました。
『世紀をこえて 八幡製鉄所の百年』p.46「戦時下の生産を支えた義務貯蔵」には、「日本製鉄の社船がうけた最初の被害は昭和18年(1943年)2月の香椎丸3.218総トンの沈没だった。つづいて同じ年の10月から12月にかけて主力の大型船、天南丸、泰南丸、鵜戸丸、筥崎丸の4隻、合計18.700総トンを失った」とあります。
また、『年表太平洋戦争全史』p.309には、「海軍省、軍令部の燃料節減の要望で、連合艦隊が艦艇訓練用の燃料標準と訓練回航海時の使用速力標準を定める貨物船筥崎丸(3948トン)、済州島で雷撃を受け沈没。便乗者7名・警戒隊名・船員39名戦死。」と記載されています。
次に、当館所蔵の資料以外からは、「戦没した船と海員の資料館」のウェブ上のホームページ内、「戦没した船の位置」ページより、「海域毎の戦没船」をご案内しました。「海域毎の戦没船」ページからは海域図が表示され、「黄海・挑戦半島」、「済州島」、「ジェジュド」と進み、「大韓民国」地図の左下、済州島の左側付近に「筥崎丸」とあります。さらに「筥崎丸」をクリックすると「筥崎丸 日本製鉄 3.948総トン 1943(昭和18)年12月14日、伊万里発上海向け船行中、04時17分頃、済州島高山里西方洋上において突然左舷四番艙に被雷、二発をうけ、急速に沈没。便乗者7名、船員39名 戦死。」とありました。
- 回答プロセス
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当館にある製鉄や戦争関連の資料を検索し、中身を調査したところ『世紀をこえて 八幡製鉄所の百年』、『年表太平洋戦争全史』に筥崎丸が沈没した詳細が載っていました。その他にインターネットで「筥崎丸」と「日本製鉄」を検索したところ、全日本海員組合の「戦没した船と海員の資料館」が見つかり、ホームページを確認しました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 『世紀をこえて 八幡製鉄所の百年』 新日本製鉄/編 新日本製鐵株式会社八幡製鐵所 2001.11 P.46 (請求記号K654.1/シ/, 資料番号 0311758304)
- 『年表太平洋戦争全史』 日置 英剛/編 国書刊行会 2005.10 P.309 ISBN 978-4-336-04719-7 (請求記号K210.7/ヒ/, 資料番号 1610421248)
- 「戦没した船と海員の資料館」http://www.jsu.or.jp/siryo/
- キーワード
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- 筥崎丸
- 日本製鉄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339018