レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月16日
- 登録日時
- 2014/02/16 23:45
- 更新日時
- 2014/02/18 13:43
- 管理番号
- 20140216-3
- 質問
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解決
山尾庸三について知りたい。
- 回答
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山尾庸三 【やまお・ようぞう】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E5%B0%BE%E5%BA%B8%E4%B8%89 (2014/02/16確認)
朝日日本歴史人物事典
生年: 天保8.10.8(1837.11.5)
没年: 大正6.12.21(1917)
明治期の政治家。長州(萩)藩士山尾忠治郎の次男。周防国(山口県)小郡に生まれ,吉田松陰らに学ぶ。嘉永5(1852)年江戸に上り,文久1(1861)年には幕臣北岡健三郎と共にロシア領アムール川流域の査察を行う。翌2年高杉晋作らとイギリス公使館焼き打ちに参加,さらに翌3年長州の軍備強化の目的もあって,伊藤俊輔(博文),井上聞多(馨)らとイギリスに密航,ロンドンからグラスゴーに渡り,ロバート・アンド・サンズ造船所で働きながら,アンダーソン・カレッジにも通う。・・・
<参考文献>『日本工学会百年史』
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
山尾庸三 やまお-ようぞう
1837-1917 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)8年10月8日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。文久3年伊藤博文らと渡英,工業をまなぶ。明治3年帰国し,工部省,工学寮の設立にかかわり,13年工部卿(きょう)。のち宮中顧問官,法制局長官。また楽善会訓盲院(現筑波大付属盲学校)の創立につくした。大正6年12月21日死去。81歳。
国史大辞典
山尾庸三
やまおようぞう
一八三七 - 一九一七
明治時代の旧長州藩出身の官僚。天保八年(一八三七)十月八日、萩藩士山尾忠治郎の次男として出生。文久元年(一八六一)、幕府が江戸その他の開市開港の延期を諸外国と交渉するため、勘定奉行竹内保徳をヨーロッパに派遣した際、庸三は同使節に随行し、シベリアに渡る。翌年、帰国後、高杉晋作らの攘夷運動に加盟して、品川御殿山のイギリス公使館の焼打ちに参加したこともあるが、その後、英国商人のT・グラバーの助力を得て、四人の同志とともにイギリスに赴き、その産業や文化を視察した。この時の同行者のなかに、のちの伊藤博文や井上馨らがいた。・・・
[参考文献]
井関九郎編『現代防長人物史』三
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 山尾庸三 やまお ようぞう
- 長州五傑 長州ファイブ Choshu Five
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000149358