レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1994/06/08
- 登録日時
- 2005/02/11 02:15
- 更新日時
- 2014/09/24 14:13
- 管理番号
- 埼川-1994-026
- 質問
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解決
黒田清輝の裸体画に対して「腰巻事件」が起こったのは明治何年か。
- 回答
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『日本近代美術発達史 明治篇』『近代日本総合年表』により、明治28年とわかる。これを連絡する。
ただし、追加調査で質問に関連する事件が複数あることが分かる。備考に追記あり。(2014/09/04)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 芸術史.美術史 (702 9版)
- 洋画 (723 9版)
- 参考資料
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- 『日本近代美術発達史』(浦崎永錫著 東京美術 1974)
- 『近代日本総合年表』(岩波書店 1991)
- キーワード
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- 黒田 清輝(クロダ セイキ)
- 画家-洋画家
- 明治時代-日本
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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愛知芸術文化センター愛知県図書館様からコメントをいただく。(2014/09/04)以下、本文と追加調査の内容。
黒田清輝は裸体画に関して少なくとも2度話題になっている。
『近代日本総合年表 第4版』(岩波書店編集部 岩波書店 2001)
p143 明治28年4月1日の京都における第4回内国勧業博覧会で、「『朝しょう』(「しょう」は爿ヘンに女)が陳列の可否について世論沸騰風紀紊乱を誘発する」とあり。
p169 明治34年の10月10日の白馬会第6回展における『裸美人』で、「風俗を乱すものとして当局は布で下半身を覆って出陳させる」とあり。
『日本近代美術発達史 明治篇』
p258-259 明治28年の博覧会については、「世論を沸騰させた」ものの、「無事陳列された」とあり、展示方法に何らかの変更があった記載はみあたらない。
『日本近代美術論争史』(中村義一著 求竜堂 1981)
p65-72 「2 『朝妝』論争」
p81 「警察の命令で黒田清輝の『裸体婦人像』他の画面の下半身を、海老茶色の布で巻いたいわゆる腰巻事件は、明治三十四年(一九〇一年)秋の白馬会展の時である。」とあり。
昭和28年の第4回内国勧業博覧会における事件は『朝妝』論争・『朝妝』事件、昭和34年の白馬会第6回展における事件は腰巻事件と呼称されていることがわかった。
《黒田清輝関係文献目録》(http://www.tobunken.go.jp/kuroda/archive/k_biblo/japanese/essay40115.html 東京文化財研究所 2014/09/05最終確認)
「◎文展の裸体作品問題-裸体画問題に就て」(『美術新報16-1 大正5年11月17日』 八木書店 1984)
《白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展》(http://www.tobunken.go.jp/kuroda/archive/at_newsp/hakuba06.html 東京文化財研究所 2014/09/05最終確認)に多数関連記事あり。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000015125