レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年07月28日
- 登録日時
- 2012/08/24 12:48
- 更新日時
- 2012/08/28 12:59
- 管理番号
- 相市-24-005
- 質問
-
解決
①境川にかかる馬場橋(バンババシ)の近くの地名、「丸山(マルヤマ)」・「御所之入(ゴショノイリ)」の由来を知りたい。
②境川にかかる橋「常矢橋」の読みを知りたい。
- 回答
-
①『相模原の地名』 原義範/著 汐入書房 1990
→”(6)城舘址などの地名”の項 P.36~37に記載あり。
「丸山」→”其の他”の項に、”丸…城の砦といわれる”、”横溝五郎にかかわる地名という。”とあり、「丸」の
つく地名が列挙された中に、”矢部…丸山”が記載されている。
「御所之入」→”居舘址”の項に、矢部「御所ノ入」があり、”和田義盛の一族横山党有力者矢部氏の居舘の
あったところといわれるが、一説に、秋元但馬守邸跡であるともいう。”との記載あり。
②橋が開通した当時の「広報まちだ」(2004年5月1日号)の記事によると、「常矢橋」の読みは、「トキヤバシ」。
- 回答プロセス
-
まず、「都市地図 神奈川県10 相模原市 愛川町 6版9刷」 昭文社 2011 〔R291・s23616642〕にて、
「馬場橋」及び「常矢橋」の所在地を調べる。
→どちらも相模原市上矢部の地名であることを確認。
次に、相模原の地名に関する資料(分類K1-29)をあたる。
【①について】
大野北公民館区の史跡めぐりの資料の中に、「御所之入」の記載があるが、地名の由来ではなく、伝説について。
「ふるさと案内 大野北編」 相模原市母親クラブ連絡協議会/編 相模原市教育委員会 1986〔K1-29・s04160735〕
→Aコースの項に、「御所之入」の地図と解説文あり(13行目)。
”この辺りは、御所之入といわれ、昔ある姫君が12人の従者をともなってこの地に住みつき生活したという
伝説があります。また、近年宅地開発が進む中で、横穴古墳もこの附近から発見されました。”との記載あり。
下記資料にも同様の記載あり。
「北公民館だより」 相模原市大野北公民館 2012 〔K1-37・s23442734〕
→200号 P.1 ”「御所之入横穴古墳(おひめばたけ)」(上矢部1丁目13番)”についての記事
「相模原の地名」 原義範/著 汐入書房 1990 〔K1-29・s07763394〕
→”(6)城舘址などの地名”の項 P.36~37に記載あり。
「丸山」→”其の他”の項に、”丸…城の砦といわれる”、”横溝五郎にかかわる地名という。”とあり、「丸」の
つく地名が列挙された中に、”矢部…丸山”が記載されている。
「御所之入」→”居舘址”の項に、矢部「御所ノ入」があり、”和田義盛の一族横山党有力者矢部氏の居舘の
あったところといわれるが、一説に、秋元但馬守邸跡であるともいう。”との記載あり。
「地名調査報告書」 相模原市教育委員会/編 相模原市 1984 〔K1-29・s22874655〕
→P.12~13 上矢部村の項に、「御所ノ入」、「マルヤマ」の記載あるも由来なし。
【②について】
境川は町田市との境界のため、町田市の地名に関する資料も探してみる。
「ふるさと上馬場」 上馬場町内会史編さん委員会/編 町田市小山町上馬場町内会 2009 〔291.36・s23368913〕
→記載なし。
インターネットGoogleにて”広報まちだ”を検索し、町田市ホームページのサイト内検索で”常矢橋”を検索すると、2004年5月1日号がヒット。
→2面に”「常矢橋」が開通しました”の記事があり、読みは「トキヤバシ」であることが確認できた。
※〔 〕内は、自館の請求記号・資料コードです。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291)
- 参考資料
-
- 『相模原の地名』 原義範/著 汐入書房 1990
- キーワード
-
- 矢部
- 丸山
- 御所之入
- 御所ノ入
- 常矢橋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000110382