レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月22日
- 登録日時
- 2012/08/14 20:00
- 更新日時
- 2012/10/17 12:23
- 管理番号
- 相橋-H24-058
- 質問
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解決
幕末期の相模原市田名の検地や宗門人別帳など、庄屋、名主について書かれた古文書はないか。
- 回答
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①~③の資料を提供した。④の資料について説明し、相模原市立博物館を案内した。
- 回答プロセス
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自館OPACでキーワードを“タナ ケンチ”にして検索すると、次の資料が見つかった。
①『相模原市史 第5巻』相模原市/編 相模原市 1965 (自館請求記号:K1-21)
p6に田所文書、p42に江成文書があったが関連する文書ではなかった。
しかし近世資料編としてp403から田名村の記述があり、p419には「村鑑近郷村附帳」(天明3年/1783年)が紹介され検地と思われる記述があった。
またp427には「村方地誌調書上帳控」(文政9年/1827年)がある。
p461には「田名村宗門人別五人組改帳」(明和2年/1765年)の記述があり、p491にはこれを表にしたものがあり、計141の戸主と家族構成、宗派がわかる。
再度自館OPACでキーワードを“シュウモンニンベツチョウ”などで検索し直したが、田名に関するものは見つからなかった。
またキーワードを“田名 古文書”にして検索したが、回答につながるような資料は見つからなかった。
相模原の郷土資料がある棚から直接探した。
『新編相模国風土記稿第3巻』蘆田伊人/校訂 雄山閣出版 1998 (自館請求記号:K0-29)
p367から田名村について、p368に江成銀蔵(名主)についての記述があるが、回答につながるものではなかった。
②『博物館所蔵古文書目録』相模原市立博物館/編 相模原市立博物館 2005 (自館請求記号:K1-06/ROM/117)
p173から旧田名村の記述があり、江成家、田所家のほか志村家、篠崎家、木原家、金井家、白井家、大谷家から寄贈された文書の目録が載っている。
③『相模原市史 第7巻』相模原市/編 相模原市 1988 (自館請求記号:K1-21)
主要資料目録があり、p373から“土地”に関係のある文書、p419から“戸口”に関係のある文書がまとめられている。
検地帳では天正19年(1592年)、寛文2年(1663年)のほか5つが、宗門人別帳は①の資料と同じ明和2年のもののみ目録が載っている。
再度自館OPACでキーワードを“田名”、分類を“K1-2(相模原の歴史)”に絞り検索すると次の資料が見つかった。
『相模原市史 第2巻』相模原市/編 相模原市 1967 (自館請求記号:K1-21)
第1章に「近世前期の相模原」、第2章に「検地の施行と村落の構造」がある。
p69に「田名村の天正検地と検地目録」という項があり、それによると「検地帳が現存しないため詳細は追究できないが、検地終了と共に作成された『検地目録』(正しくは『相州東郡田名之村御縄打取積ル』と称される)の写しによってその概要をみることができる」とある。
p70には天正19年(1592年)の田名村耕地の表があり、耕地名、面積、石高、石盛が記載されている。
p71にある「屋敷地とその名請人」によると①の資料にある「村鑑近郷村附帳」に詳しくあるとあり、本書ではこの資料を使った検討が行なわれている。
自館OPACでキーワードを“検地目録”“相州東郡田名之村御縄打取積ル”にして検索したが見つからなかった。
神奈川県立公文書館アーカイブズ詳細検索(http://kanagawa-archives-search.force.com/Gov__p0520 2012/08/17最終確認)および
国立公文書館デジタルアーカイブ(http://www.digital.archives.go.jp/ 2012/08/17最終確認)で同上のキーワードで検索したが、回答につながるような情報は見つからなかった。
相模原市の歴史に関連した資料がある棚を探すと、次の資料が見つかった。
『私家版 ふるさと田名のむかし』 金井準一/編 相模経済新聞社 2001 (自館請求記号:K1-21)
p86に天正19年田名村坪屋敷・畑屋敷地集計という表があり、出典として⑦の資料が挙げられていたが①の資料に載っている表と同じものだった。
p87に「『田名の歴史』篠崎榮治氏の「我が家の記録」(1726年の村明細差出帳)によると」という記述がある。
p90に関連する記述があり要約すると、江戸時代の260余年間村人は名字の公称は禁じられていたが、宝暦13年(1763年)の「鎮守祭礼人数帳」には名字の記載があり、田名に限らずこうした祭礼関係の資料や高室院文書などに明治期に見られる姓のほとんどが記載されているという。
自館OPACでキーワードを“田名の歴史”“篠崎榮治”“村明細差出帳”“鎮守祭礼人数帳”にしてそれぞれ検索したが見つからなかった。
④『相模原の民家』相模原市民家調査会/編 相模原市教育委員会 1986 (自館請求記号:K1-38)
p106「第8節 建物台帳からみた相模原の民家」に「現在、市立図書館古文書室には明治40年12月に調整された相原村相原・相原村清兵衛新田・相原村小山および大正11年の田名村の建物台帳が保存されている。」とある。建物台帳とは旧村ごとに作られ、それぞれ一軒ごとに通し番号をつけ、字名、家主、地番、間取図などを書いたものである。田名村の建物台帳の記載はないが、市立図書館古文書室、現在の市役所・文化財保護課もしくは市立博物館内市史編纂班の窓口に問い合わせれば所在は明らかになると思われる。
『相模原市村落景観調査報告 田名(TANA)』相模原市教育委員会社会教育部/編 相模原市教育委員会 1987 (自館請求記号:K1-29)
p23「地籍図調査」の項にて、旧田名村の景観を考察するための基礎資料を制作したとあり、参照した資料名が挙げられている。本書では田名村民全員を対象とした調査結果は載っていない。
- 事前調査事項
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質問者によると江成家、田所家が市立博物館などに古文書を寄贈している。
オンラインデータベースJapanKnowledge+(http://www.jkn21.com 2012/08/26最終確認)で“宗門人別帳”を検索すると次のようにあった。
しゅうもん‐にんべつちょう[:ニンベツチャウ]【宗門人別帳】
江戸時代、キリシタン制圧のため、宗門改に基づいて作成された帳簿。同時に戸籍簿としての役割も果たした。人別帳は戸籍簿であり、宗門帳は宗門改の結果を記した帳簿であり、本来は別々のものであったが、人別帳にその構成員の宗門を書きこんだので一帳となったもの。宗旨帳。宗旨人別帳。宗門帳。宗門改帳。(日本国語大辞典)
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『相模原市史 第5巻』相模原市/編 相模原市 1965 (自館請求記号:K1-21)
- 『博物館所蔵古文書目録』相模原市立博物館/編 相模原市立博物館 2005 (自館請求記号:K1-06/ROM/117)
- 『相模原市史 第7巻』相模原市/編 相模原市 1988 (自館請求記号:K1-21)
- 『相模原の民家』相模原市民家調査会/編 相模原市教育委員会 1986 (自館請求記号:K1-38)
- キーワード
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- 相模国高座郡田名村
- 宗門人別帳
- 宗旨帳
- 検地
- 建物台帳
- 名寄帳
- 地籍図
- 相模原
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109930