レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月06日
- 登録日時
- 2011/11/18 15:28
- 更新日時
- 2012/02/10 11:21
- 管理番号
- 埼熊-2011-099
- 質問
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解決
1 大阪夏・冬の陣の前に豊臣家家老「大野治長」と秀吉の妻淀殿が同じ部屋から出てきたのを見た人が毛利家に2度手紙を出したそうである。この2通の手紙を見たい。
内容は、「秀吉に似ていないし、父親は本当は大野治長である」というものである。
2 フロイスが「秀吉には300名の女がいたが、淀殿だけに子供ができるのを不思議がっている」と言っている。この記述のある資料を見たい。
- 回答
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1 毛利家臣の内藤隆春が、重臣の宍戸元家に送ったとされる書状について、以下の資料に記述があり紹介した。
『淀君 人物叢書』(桑田忠親著 吉川弘文館 1985)
p114に、「萩藩閥閲録」(毛利家編纂の古文書集)に、「毛利家臣内藤氏の文書に、慶長四年の一二月二日付で、内藤隆春が宍戸家に上方の形勢及び風説を報告した書が載っている。」とあり。その一節に淀君と大野治長との風説の記述があり。
2 フロイスの著作『日本史』の中に、秀吉の側室や、子(鶴松)についての記述が見られた。以下の資料を紹介した。
『日本史 1 豊臣秀吉篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1977)
p128「羽柴(秀吉)は大坂城に夥しい数の婦女子をかかえていた。」
p256「関白は、大阪城内だけで、日本全国の諸侯貴顕の娘たちを三百名も側室としてかかえており、」
p318「彼は政庁内に大身たちの若い娘たちを三百名(も)留めているのみならず、訪れて行く種々の城に、また別の多数(の娘たち)を置いていた。」
『日本史 2 豊臣秀吉篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1977)
p195「彼には唯一人の息子(鶴松)がいるだけであったが、多くの者は、もとより彼には子種がなく、子供をつくる体質を欠いているから、その(息子)は彼の子供ではない、と密かに信じていた。」
p315「関白は極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺しており、二百名以上の女を宮殿の奥深くに囲っていたが…(以下略)」
『日本史 5 五畿内篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1978)
p257「(関白)には、信長の妹の娘、すなわち姪にあたる側室の一人との間に男児が生まれたと云うことである。日本の多くの者がこの出来事を笑うべきこととし、(中略)(こんど誕生した)子供が(関白)の子であると信じる者はいなかった。」
- 回答プロセス
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1 『淀君 人物叢書』(桑田忠親著 吉川弘文館 1985)
p114-「萩藩閥閲録」に記述あり。
「毛利家臣内藤氏の文書に、慶長四年の一二月二日付で、内藤隆春が宍戸家に上方の形勢及び風説を報告した書が載っている。」とあり、「(略)その子に大野修理という御前のおぼえもよい人があった。それが、お拾様の御袋様と密通するという事件が起きて」との、淀君と大野治長との風説の記述あり。
「萩藩閥閲録」は埼大図所蔵。
「密通の事実はあったか」(『歴史読本 31-5』p94-101 新人物往来社 1986.3)
p96「飛び交う密通の噂」の項に、毛利家中の内藤隆春が、国許の重臣宛に密通に関する書簡を送ったとの記述あり。
他に『看羊録』に、「秀頼之母、方与大野修理通有進」の記事があるとの記述あり。
『看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記』 (姜沆〔著〕 朴鐘鳴訳注 平凡社 1984)
p160に記述あり。
志茂田景樹著「豊臣秀吉 秀頼は秀吉の実子ではない」(『歴史と旅 19-13』p44-51 秋田書店 1992.9)
p51毛利家臣の内藤隆春が、国許の毛利家重臣の宍戸元家に送ったとされる、密通に関する書状について記述あり。
2 『淀殿 われ太閤の妻となりて(ミネルヴァ日本評伝選)』(福田千鶴著 ミネルヴァ書房 2007)
p85「フロイスは別のところでも、茶々の懐妊は「笑うべきこと」と表現している。」とあり。
『フロイスの見た戦国日本』(川崎桃太著 中央公論新社 2003)
p210「北政所のライバルとされた淀君について、フロイスは一言も触れていない。」とあり。
『武功夜話 前野家文書 現代語訳 秀吉編(吉田雄翟〔編〕 加来耕三訳 新人物往来社 1992)
p204「淀殿御懐妊」の項に、「この春から御茶々様のご懐妊の風評があり、御新亭南門に落首が貼られるなど、取り沙汰も急であったが、事実、その通りとなって、このほど御茶々様御懐妊が発表された。」とあり。
その他、調査済み資料は以下のとおり。
『豊臣秀頼 悲劇のヒーロー』(森田恭二著 和泉書院 2005)
『織豊期の政治構造』(三鬼清一郎編 吉川弘文館 2000)
(福田千鶴「豊臣秀頼研究序説」所収)
『豊太閤の私的生活』(渡辺世祐〔著〕 桑田忠親校訂 講談社 1980)
『秀吉と文禄の役 フロイス「日本史」より』(松田毅一 川崎桃太編訳 中央公論社 1991)
『大坂時代と秀吉』(脇田修著 小学館 1999)
『南蛮人のみた日本』(佐久間正著 主婦の友社 1978)
『戦国おんな史談』(桑田忠親著 潮出版社 1981)
『豊臣秀吉と南蛮人』(松田毅一著 朝文社 1992)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『淀君 人物叢書』(桑田忠親著 吉川弘文館 1985)
- 『日本史 1 豊臣秀吉篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1977)
- 『日本史 2 豊臣秀吉篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1977)
- 『日本史 5 五畿内篇』(フロイス〔著〕 松田毅一訳 中央公論社 1978)
- キーワード
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- 大野 治長(オオノ ハルナガ)
- 淀君(ヨドギミ)
- Frois Luis (フロイス ルイス)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000096953