レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月01日
- 登録日時
- 2012/04/11 17:10
- 更新日時
- 2012/04/11 17:10
- 管理番号
- 市川20110801-02
- 質問
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藤原(中臣)鎌足の娘が現在の千葉県内のいずれかの場所で死んだと聞いたが、どこか?
- 回答
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Web検索したところ、房総史譚のサイト(http://bousou.txt-nifty.com/blog/cat20464732/index.html)及び旭市公式ウェブサイトの広報あさひバックナンバー「広報あさひ連載 ふるさと探訪(旭ゆかりの人物 第1回)」(http://www.city.asahi.lg.jp/formersites/asahi/koho/furusato/fs000401.html)の記述より、壬申の乱において大海人皇子に敗れ自害した大友皇子の妃で藤原(中臣)鎌足の娘と伝えられる「藤原耳面刀自(ふじわらのみみおものとじ、又はみみのもとじ)」が十八人の従者とともに乱を逃れて船で父親の故郷・鹿島に向かう途中、九十九里の野手浜で病没し、従者や里人によって近くに埋葬され、その後、大塚原へ改葬されたという伝説があるとのこと。埋葬地と伝えられる「内裏塚古墳」(現.匝嵯市野手)及び改葬地と伝えられる「大塚原古墳」(現.旭市大塚原)が耳面刀自の墓といわれている。
また、当館所蔵の『市制四十周年記念誌 旭の風土と文化』(旭の風土と文化編集委員会/著 旭市 1993年)P.22~P.25にも、ほぼ同様の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000104770