レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月13日
- 登録日時
- 2013/11/13 07:02
- 更新日時
- 2013/12/06 22:14
- 管理番号
- 20131113-1
- 質問
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解決
浜田彦蔵について知りたい。
- 回答
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浜田彦蔵(はまだひこぞう) [日本大百科全書(小学館)]
(1837―1897)
幕末の漂民、明治にかけての貿易商。播磨国(はりまのくに)(兵庫県)に生まれた船乗りの子。1850年(嘉永3)14歳のとき遠州灘(えんしゅうなだ)で暴風雨にあい漂流50余日、アメリカ船オークランド号に救助されて渡米。教育また洗礼も受け、帰化して名をジョセフ・ヒコと改めた。1859年(安政6)9年ぶりに日本に帰り、華やかな幕末外交界に登場、アメリカ領事館の通訳として活躍、開国後の日本の外交に尽くした。俗にアメリカ彦蔵、播州彦蔵(ばんしゅうひこぞう)ともよばれる。1861年(文久1)ふたたび渡米、翌1862年帰国後は商館を開設、神戸・長崎などで貿易を営んだ。・・・
参考文献
浜田彦蔵著、中川務他訳『アメリカ彦蔵自伝』2冊(平凡社・東洋文庫)
浜田彦蔵 【はまだ・ひこぞう】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%BD%A6%E8%94%B5 (2013/11/13確認)
朝日日本歴史人物事典
生年: 天保8.8.21 (1837.9.20)
没年: 明治30.12.12 (1897)
幕末の漂流民,新聞創始者。通称アメリカ彦蔵,アメリカ名はジョセフ・ヒコ。嘉永3(1850)年,灘の樽廻船栄力丸に乗り組み江戸より帰航中に漂流,米船オークランド号に救助され,サンフランシスコに着く。1852年,ほかの乗組員と共に香港に送られるが,帰国のめどがたたぬまま同輩2人と共にアメリカへ帰り,後援者を得て教育を授けられ,アメリカ市民権を得る。開国後の安政6(1859)年に帰国,領事館通訳などを経て元治1(1865)年,最初の民間邦字新聞『海外新聞』を創刊,明治に入ってから各種の事業も経営した。最近ではその建白類が注目されている。
<著作>『漂流記』,英文自伝《The Narrative of A Japanese》(邦訳『アメリカ彦蔵自伝』全2巻)
<参考文献>「ジョセフ彦関係文書」(近代思想大系 田中彰編『開国』所収),近盛晴嘉『ジョセフ・ヒコ』
世界大百科事典 第2版
はまだひこぞう【浜田彦蔵】 1837‐97(天保8‐明治30)
幕末の漂流者。播磨(兵庫県)に生まれ,アメリカに帰化してジョセフ・ヒコJoseph Hecoと称し,アメリカ彦蔵ともいわれる。1850年(嘉永3)冬,江戸からの帰途海難にあい,漂流50余日でアメリカ船に救助され渡米,いったんマカオに送られたがペリー艦隊にあえず再び渡米し,アメリカで教育を受け,58年(安政5)アメリカ市民となった。その間ピアースおよびブキャナンの両大統領と会見し,59年アメリカ領事の通訳として来日し,日米通商条約の実施,遣米使節の派遣など外交交渉に活躍した。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- ジョセフ・ヒコ Joseph Heco
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000140413