レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/06/13
- 登録日時
- 2013/08/26 00:30
- 更新日時
- 2013/08/27 12:49
- 管理番号
- 0000000078
- 質問
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解決
島田清次郎が『地上 第2部』執筆時に住んでいた金沢市の胡桃町について教えてほしい。
- 回答
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『角川地名大辞典 17 石川県』(1981年、角川書店、当館請求記号K290.3/228)p.278の「かみくるみちょう 上胡桃町〈金沢市〉」の項に以下の記述が見えます。
〔近代〕明治4年~昭和41年の町名。はじめ金沢町、明治22年からは金沢市の町名。江戸期は公事場や武家屋敷が続いた一帯。金沢城跡の東側に沿って作られた町で、元禄の侍帳には 「みそぐら町」と見える(郷土辞彙)。町名は味噌蔵町にあった「くるみや橋」にちなむ。この橋は大手町の東端で東内総構堀にかかっていた。昔この橋詰に黒梅屋治左衛門という染工がいたため 「黒梅屋橋」と呼ばれていたのが誤伝され「くるみや橋」「くるみ橋」となったという。…昭和30年の世帯数138・人口567。同41年一部を大手町に編入、同年残余が兼六元町・小将町となる。
『日本歴史地名大系 17 石川県の地名』(1991年、平凡社、当館請求記号K290.3/309)p.370「胡桃町」の項には以下のように書かれています。
現金沢市大手町・兼六元町・小将町 東内総構堀を挟み味噌蔵町の西(内)側に位置する。総構堀に並行して南北に延びる道に沿う武家地で、南は新堂形米蔵、北は普請会所に限ら れる。明治四年(一八七一)頃この地域を上胡桃町、さらに普請会所跡地から北上して、総構堀に架かる稲荷橋の橋詰までの間に新たに道を付け下胡桃町として町立てした。…
- 回答プロセス
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金沢市の地名という事なので、角川地名大辞典と平凡社日本歴史地名大系を調査したところ、上記記載にたどり着いた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 小説.物語 (913 9版)
- 日本 (291)
- 参考資料
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- 1 石川県の地名 平凡社∥[編] 平凡社 1991.9 K290.3/309
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2 角川日本地名大辞典 17 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1981.7 K290.3/228
- キーワード
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- 島田清次郎
- 胡桃町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000136332