レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月11日
- 登録日時
- 2014/11/08 16:07
- 更新日時
- 2016/12/08 13:59
- 管理番号
- 2014-11
- 質問
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解決
大正から昭和にかけて活動した「森孝三」について生没年、出生地、略歴、事跡、子孫等が知りたい。
- 回答
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【資料1】p215に略歴が掲載されている。
「森孝三(もり・こうぞう/1874~没年未詳)
独逸協会専修科を出て渡欧、ベルリン大学卒業。のち市政調査会参事、昭和金鉱取締となる。後藤新平の読書上の秘書で、台湾時代、ヨゼフ・オルツェウスキー著『官僚政治』を翻訳、後藤がそれに序文をつけて後藤の名を冠して1911(明治44)年出版。翌年7月、桂太郎と後藤の訪露に随行。23(大正12)年1月、後藤東京市長の命でアドルフ・ヨッフェを迎えに神戸に直行、後藤・ヨッフェ会談にドイツ語通訳として加わった。26(大正15)年3月、後藤や駐日ドイツ大使ゾルフらとともに日独協会を再興。また、24(大正13)年秋、ドイツから来日したハーバー博士と交談、それが契機となって27(昭和2)年日独文化協会が成立。同年12月、後藤の訪ソに随行したが、このとき故伊藤公のステッキを携えていた。29(昭和4)年3月30日、後藤の絶筆「帝力於吾曷為者…」を与えられた。」
残念ながら簡易なもので、事前調査事項として示されている国立国会図書館近代デジタルライブラリーの官報にある台湾時代のことなどについてはほとんど触れられていない。
【資料2】pモ7に「森孝三」記載あり。『人事興信録 第16版』以降は記載がなく、この資料が森孝三についての同種の資料(興信録、紳士録など)で最も新しいものとなる。
【資料3】事前調査事項として示された国立国会図書館近代デジタルライブラリーの官報にある台湾時代について、同時代の『職員録』に記載がないか調調査したところ、台湾総督府警察官及司獄官練習所の項に以下のように記載があった。
○明治37年版(1904年7月) 甲p601
「台湾総督府 警察官及司獄官練習所
教官 六等十一級 兼台湾総督府事務官臨時台湾土地調査局事務官正七 森孝三」
○明治38年版(1905年8月) 甲p631
「台湾総督府 警察官及司獄官練習所
教官 五等十級 従六 森孝三」
○明治39年版(1906年8月) 甲p733
「台湾総督府 警察官及司獄官練習所
教官 五等九級 警部警部補学術試験委員巡査学術試験委員 従六 森孝三」
○明治40年版(1907年8月) 甲p796
「台湾総督府 警察官及司獄官練習所
教官 四等八級 警部警部補学術試験委員巡査学術試験委員 正六 森孝三」
○明治41年版(1908年7月) 甲p841
「台湾総督府 警察官及司獄官練習所
教官 四等七級 臨時防疫委員警部警部補特別任用考試委員 正六、勲五 森孝三」
○明治42年版(1909年7月) 甲p870
「台湾総督府 警察官及司獄官練習所
所長(兼) 総督府事務官 森孝三
教官 四等六級 臨時防疫委員 正六、勲五 森孝三」
明治43年版(1910年7月)以降は記載なし。ただし、台湾総督府警察官及司獄官練習所以外の項目に掲載が可能性はあるが、この資料には索引が無いため網羅的な調査は不能。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ、国立国会図書館デジタル化資料をそれぞれ「森孝三」で検索。
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 【資料1】『正伝・後藤新平 決定版 別巻 後藤新平大全』(御厨貴編、藤原書店、2007年)<当館請求記号289.1/コジ9/2007>
- 【資料2】『人事興信録 第15版 下』(人事興信所、1948年)<当館請求記号R281.03/25/15-2> (この資料は国立国会図書館デジタルコレクション<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123783/220>でも閲覧可能だが、もとの資料の状態が悪いのか文字が非常に読みづらくなっている。)
- 【資料3】『職員録』(印刷局)<当館請求記号317.2/82>
- キーワード
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- 森孝三(もり こうぞう)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000161928