レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月10日
- 登録日時
- 2011/09/20 11:47
- 更新日時
- 2011/12/08 17:30
- 管理番号
- 埼熊-2011-072
- 質問
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解決
南方熊楠と弟子の小畔四郎の往復書簡で「ムサシミツミネ」で粘菌を採集したということだが、このことについて記述のある資料はあるか。
(出典:「熊楠研究」熊楠顕彰会 2000)
- 回答
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小畔四郎が「ムサシミツミネ」で粘菌を採集したとの記述のあった、以下の資料を紹介した。
『大博物学者:南方熊楠の生涯』(平野威馬雄著 リブロポート 1982)
「大正十五年十一月 献進粘菌目録」のリスト中に次のような一行あり。
p198「大正13.10 武蔵三ツ峯 小畔四郎」
この目録では、採集者を熊楠とするのは「紀伊田辺」「紀伊坂泰官林」「紀伊安堵峯」「紀伊稲成村「武蔵三ツ峯」の5箇所。
小畔の採集地は「武蔵三ツ峯」のほかに「朝鮮釜山」「北海道小樽」「東京芝公園」「豊前門司」ほか多数があげられている。
p262-273に「現今本邦に産すと知れた粘菌種の目録」があり、p267に「72 D. Koazei MINAKATA in litt. 武蔵三峯 小畔」の記述あり。
『南方熊楠:人と学問』(笠井清著 吉川弘文館 1980)
p55「大正11年以後の小畔の粘菌採集地を記録に残っている資料(進献表)によって、列記すると」とあり、(大正)13年10月に「武蔵三ケ峯。」とあり。
『南方熊楠書簡抄 宮武省三宛』(笠井清編 吉川弘文館 1988)
p120-121「52 昭和3年10月29日付封書」の項に、「9月上旬小畔四郎氏、東大の渡辺篤氏(有名なる植物生理学者)と田辺拙宅へ来られ、此の妹尾国有林に遊び、粘菌新種Diderma koazei Minakataを再見され候。(三年斗り前、武蔵国三峰にて発見されたるもの。天皇陛下へ献品中にも入れたり。)」とあり。
- 回答プロセス
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『南方熊楠:梟のごとく黙坐しおる』(飯倉照平著 ミネルヴァ書房 2006)
p269-270〈採集行の日々〉に、熊楠が「植物採集をおこなった時期とおもな地域」の一覧があるが、三峯の記述なし。
『南方熊楠、独白:熊楠自身の語る年代記』(南方熊楠〔著〕 中瀬喜陽編著 河出書房新社 1992)
p139-140「粘菌標本進献」の章に、上記進献の事情(家族に病人がいるため、献上者が南方熊楠でなく(一門を代表して)小畔四郎になった)が記されている。
その他調査済み資料は、以下のとおり。
『父南方熊楠を語る』(南方文枝著 南方熊楠著 谷川健一〔ほか〕編 日本エディタースクール出版部 1981)
『南方熊楠』(笠井清著 吉川弘文館 1985)
『南方熊楠コレクション 5 森の思想』(南方熊楠〔著〕 中沢新一責任編集 河出書房新社 1992)
『門弟への手紙 上松蓊へ』(南方熊楠著 中瀬喜陽編 日本エディタースクール出版部 1990)
『岳父・南方熊楠』(岡本清造著 飯倉照平編 原田健一編 平凡社 1995)
『覚書南方熊楠』(中瀬喜陽著 八坂書房 1993)
『南方熊楠を知っていますか?』(阿部博人著 サンマーク出版 2000)
『南方熊楠を知る事典』(松居竜五〔ほか〕編 講談社 1993)
『南方熊楠の宇宙』(神坂次郎著 四季社 2005)
『南方熊楠日記 1-4』(南方熊楠著 長谷川興蔵校訂 八坂書房 1987-1989)
『南方熊楠全集 9 書簡』(南方熊楠著 平凡社 1973)
『南方熊楠全集 別巻 1 書簡補遺・論考補遺』(南方熊楠著 平凡社 1974)
『南方熊楠全集 別巻 2 日記・年譜・著述目録・総索引』(南方熊楠著 平凡社 1975)
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『大博物学者:南方熊楠の生涯』(平野威馬雄著 リブロポート 1982)
- 『南方熊楠:人と学問』(笠井清著 吉川弘文館 1980)
- 『南方熊楠書簡抄 宮武省三宛』(笠井清編 吉川弘文館 1988)
- キーワード
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- 小畔 四郎 (コアゼ シロウ)(1875-1951)
- 南方 熊楠 (ミナカタ クマグス)(1867-1941)
- 菌類
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000091148