レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/11/30
- 登録日時
- 2009/04/23 02:10
- 更新日時
- 2009/04/27 14:42
- 管理番号
- 埼浦-2008-066
- 質問
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未解決
昭和29年、本太地区および大谷場・太田窪の一部について新しい町名地番が施行され、前地町、本太町、元町となった。この時、「前地」に決まった理由を知りたい。
- 回答
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町名決定についての理由が書かれている資料は確認できなかった。新しい町名地番が施行された状況については、下記の資料に記載があった。
『浦和市史 通史編4』
p154「町名地番改正」によると、「浦和市は昭和26年10月、本太地区及び大谷場字上町、太田窪字大在家の一部について町名地番改正事務を開始した。3名の専任職員を配置、所用経費を計上し、2年2か月の歳月をかけ昭和28年12月15日に完了し、17日の浦和市議会で議決を経て、21日告示、翌昭和29年1月1日から新しい町名地番が施行された。」とあり。
『浦和市制二十年史』
p225-226「第8節 町名地番改正」によると、「昭和26年10月本太地域及び大谷場字上町並びに太田窪字大在家の一部を含む地域について、改正事務開始の運びとなったのである。以来3名の専任吏員が満2年2ヵ月の日子と努力を費し、昭和28年12月15日その事務を完了したがその間、町名決定についても幾多の論議が繰返され別表の通り三町(前地町、本太町、元町)丁目別が採用され(以下略)」とあり。
『浦和市議会史 下巻(前)』
p1646「議案第116号土地の名称ならびに地番変更について」によると、「本市大字本太全地域並に大字太田窪字在家及び大字大谷場字上町の一部の区域の名称並に地番を昭和29年1月1日から別冊変更区域調書のとおり施行するものとする。(別冊略) 助役『変更区域調書のとおり施行いたしたく提案した』」とあり。
『埼玉県市町村誌 1』
p20「字の廃止および区域の変更ならびに町の設置」によると、「大字本太 昭和29年1月1日 本太町1~5丁目、元町1~3丁目、前地町1~3丁目」とあり。
『武蔵国郡村誌 2』
p98「足立郡本太村」の項に、字地として「前地」の記載があり、「村の南方にあり東西三丁三十間南北六丁五十五間」となっている。「前地」という地名は古くからあったようだが、それが町名として復活したものなのかは、確証を得られなかった。
- 回答プロセス
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旧浦和市の歴史・行政関係資料を調査した。
記述が見あたらなかった資料は以下の通り。
『浦和市史 5 現代史料編1』
『さいたま地名考』(さきたま出版会 1998)
『埼玉県地名由来事典』(小林茂多 1999)
『埼玉県地名誌』(北辰図書 1977)
『大正・昭和史料目録』(浦和市 1982)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 浦和-さいたま市-埼玉県-地名
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054092