レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年09月26日
- 登録日時
- 2021/09/30 00:30
- 更新日時
- 2022/12/19 00:30
- 管理番号
- 6021007591
- 質問
-
解決
大野川緑陰道路の計画、着工、完成はいつか。また、これが歩行者・自転車専用道路として整備されてきた経過も知りたい。
- 回答
-
大野川緑陰道路の計画や建設、経過等については、『大阪春秋 通巻90号 西淀川』(資料1)に関連記述があります。
p.12-17 三浦行雄「西淀川の川と橋」のp.16-17「大野川歩行者・自転車専用道路」の項に、大野川の埋立てと遊歩道の完成について、「昭和三十年ころから埋立てに着手され、昭和四十七年、その一部が、昭和五十四年八月には全川にわたって遊歩道としての完成をみた。」とあります。
p.84-87 鈴木照世「「矢倉海岸」の将来像」に、経過に関して、「大阪市は一九六八年(昭和四十三)三月、大野川を埋立てて高速道路を建設する計画を発表、それを知った住民らが、一九六九年(昭和四十四)の暮れに「公害の町である西淀川に大型車道はもう要らない。ほしいのは緑。埋立て跡は全面緑地帯に」と大野川緑地化推進委員会を結成、(中略)二年間におよぶ市との激しい交渉の末、大阪市はマスタープランから高速道路計画を削除、大野川は埋立てた後、歩行者、自動車専用の道路を建設し、公園的な施設も加味した緑地帯にすることになったのである。一〇年後の一九七九年(昭和五十四)八月、JR東海道線から淀川河口近くまで、全長二・八キロメートルの大野川緑陰道路が完成した」とあります。
また、『西淀川区まちづくりレポート』(資料2)p.69-71に「大野川緑陰道路」の項があり、p.69「緑陰道の概要 歴史」に、「汚染対策として、河川を埋め立て、その跡地を利用した緑化道路の建設が提案され、緑陰道路として復活することになった。(中略)事業・管理主体は大阪市であり、昭和46〜昭和54年にかけて整備が行われた。平成7年に国道43号のアンダーパスが完成し、全線が開通した。」と記述があります。
『西淀川今昔写真集』(資料3)では、以下の関連写真が掲載されています。
p.51「大野川(昭和14年)」
p.71「戦後汚濁が進行した大野川」
p.72「悪水路と化した大野川(昭和45年)」
p.72「大野川埋立工事(昭和47年)」
p.73「埋立後の大野川」
p.73「一般共用開始された大野川緑陰道路(昭和47年)」
- 回答プロセス
-
郷土資料の書架を確認し、(資料1)(資料2)(資料3)が見つかる
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
-
- 当館書誌ID <0000665283> 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻90号 西淀川 大阪春秋社 1998.3 (資料1)
- 当館書誌ID <0010375470> 西淀川区まちづくりレポート-緑と水にふれあうまち- 都市設計総合研究所/編集 大阪市西淀川区役所企画総務課 2001.3 (資料2)
- 当館書誌ID <0000486699> 西淀川今昔写真集 -西淀川区制70周年記念- 西淀川区制70周年記念事業実行委員会/編集 西淀川区制70周年記念事業実行委員会 1995.7 (資料3)
- キーワード
-
- 大阪府大阪市西淀川区
- 大野川緑陰道路
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000305258