レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/01/23
- 登録日時
- 2014/01/23 18:08
- 更新日時
- 2014/01/28 15:00
- 管理番号
- 2009-0120
- 質問
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解決
貴館所蔵『上泉徳彌伝』について調査をお願いします。
上泉が大湊要港部に着任した明治42年以降、大湊の開港運動に尽力したことが書かれている箇所がありましたらお知らせください。
- 回答
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このことについて、下記のとおり回答します。
上泉徳彌(1865~1946)は米沢生まれの海軍中将です。
当館所蔵の『上泉徳彌伝』(資料①)の内容を調べましたところ、大湊要港部について記載がなされているのは次の2箇所でした。
1 P89
「 第十二章 将 官 時 代
一、大湊司令官時代
君は42年12月1日海軍少将に任ぜられ同日大湊要港部司令官に補された。君は任地に赴くやこの地をば北門の軍港と商港、工業港とを兼ね備えた一大港湾の設備をなさんとし着々準備を進められた。又アメリカから大湊へ直航の図面をひき、その位置の重要さを示し、将来米国との交通航路の中心たらしめんとせられた。又函館との連絡も同港を以て之に当てんとする大計画を立てられた。到頭野辺地からの支線を敷設せしめ、大いに大湊開港をとなへられたのである。為に大湊興業株式会社等も出来て、後々この計画は進められて行つた。親友鈴木誠作氏もこの仕事に興味を持つて尽力された」
2 P159~160
「 第十五章 思い出と書翰
(略)
上泉徳彌閣下を偲びて (記載順序不同、敬称略)
(一) 海軍中将 今村信次郎
(略)
閣下非凡の御手腕は、彼の大湊や鎮海要港部建設の際、閣下が司令官として其の計画施設の任に当られ、其の規模の雄大なる、当時は勿論、後年驚異の話題となつて居る事でも判りますが、是が却つて当局の忌避に触れ、遂に閣下の如き偉人が、余りにも早く現役を退かれるに至つた観がある様に思われます。(略)
(昭和二十五年十一月十七日・長沢直太郎宛)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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資料①上泉徳彌伝/長沢直太郎編/1955(K289.カミ)
※( )は当館の請求記号です。
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資料①上泉徳彌伝/長沢直太郎編/1955(K289.カミ)
- キーワード
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- 上泉徳彌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000143898