レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年03月06日
- 登録日時
- 2013/07/31 00:30
- 更新日時
- 2013/08/06 11:22
- 管理番号
- 埼熊-2013-004
- 質問
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解決
「大津事件の烈女畠山勇子」p148に載っていた、1908年3月リスボンの雑誌「セロエーズ」第33号のハタケヤマユウコと大津事件に関する記事が見たい。
- 回答
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《CiNii》を〈畠山勇子〉で検索したところ、以下の資料に翻訳と解題、原文翻刻があり紹介した。
日埜博司著「ポルトガルの文人モラエスの見た大津事件と烈女畠山勇子」(「流通経済大学論集 31巻4号」p84-94 流通経済大学 1997)オープンアクセスで全文閲覧可能。
(http://ci.nii.ac.jp/els/110007187909.pdf?id=ART0009147532&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1362286090&cp 国立情報学研究所 2013/3/3最終確認)
- 回答プロセス
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『「美しい日本」に殉じたポルトガル人 評伝モラエス 角川選書 281』(林啓介著 角川書店 1997)
p120「その上に、リスボンの雑誌「セロインス」の依頼により「日本夜話」を執筆することになった。「セロインス」誌への寄稿は1906年から1910年まで続くことになる。」とあり。
『定本モラエス全集 4』(花野富蔵訳 集英社 1969)
p421-506「日本夜話」が収録。
p429-433「畠山勇子」の項あり。雑誌記事の現代語訳あり。解説はなし。
『児島惟謙と其時代 護法の巨人 伝記・児島惟謙』(原田光三郎著 大空社 1997)
p293「八雲に次ぎ勇子を廣く海外に紹介した外国人に葡萄牙人ウエンセスラウデイモラスがある。彼は十七歳の時海軍軍人となり艦長に進み、後東洋巡行の途、神戸駐剳の領事に任ぜられた風變わりの人である。(略)明治四十一年(一九〇八年)三月リスボンの雑誌セロエーズ第三十三號誌上に詳しく勇子の烈女たる所以を叙説し、勇子の霊魂の中にはやまと魂の精華が宿り國家のために捧げ、從容として死に就くことを鼓吹する偉大なるある力が存在せることを説いている。」とあり。
その他調査済み資料
『大津事件関係史料集 上 山梨学院大学社会科学研究所叢書 1』『『大津事件 ロシア皇太子大津遭難』『新聞集成昭和編年史 昭和9年度版』『異邦人モラエス』『定本モラエス全集 5』『大津事件 露国ニコライ皇太子の来日』『大津事件の再構成』『大津事件と明治天皇 封印された十七日間』『大津事件関係史料集 下 山梨学院大学社会科学研究所叢書 2』
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 「流通経済大学論集 31巻4号」p84-94(流通経済大学 1997)
- キーワード
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- 畠山 勇子(ハタケヤマ ユウコ)
- 大津事件
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000134805