レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年07月11日
- 登録日時
- 2012/09/24 11:15
- 更新日時
- 2012/11/28 13:36
- 管理番号
- 埼熊-2012-129
- 質問
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解決
明治10年3月21日付の宮島誠一郎から三島通庸(ミシマ ミチツネ)宛に送られた手紙の全文がみたい。
「三島通庸関係文書目録」(国立国会図書館 1977)以外にも該当資料が存在するかも知りたい。
- 回答
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「三島通庸関係文書」を所蔵している国立国会図書館県政資料室で、冊子複製版またはマイクロフィルムでの閲覧が可能。調査したところでは、他の資料は見あたらなかった。
「三島通庸関係文書」
「複製 冊子複製版(120冊)で閲覧。マイクロフィルム(72巻)でも閲覧可。資料番号551-556及び、558‐17は原資料で閲覧」とあり。
該当の書簡は国会図書館で閲覧可能。(http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/mishimamichitsune.php 国立国会図書館 2012/09/25最終確認)
- 回答プロセス
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質問の出典を確認する
『三島通庸関係文書目録』(国立国会図書館 1977)
p51 「194 宮島誠一郎」「3 明治10年3月21日 鶴岡静穏 西国戦況 池田帰県士族授産等助力請ウ (付)別啓-修士館製熊本地図進呈一通」
p297(「三島通庸略年譜」中から)明治10年3月には、山形県令を務めていたことがわかる。
鶴岡の士族が不穏な動きをしている(「鶴岡西郷に呼応という誤報」)。
参考図書で確認する
『近現代日本人物史料情報辞典』(伊藤隆、季武嘉也編 吉川弘文館 2004)
p393〈宮島誠一郎〉の項あり。三島への書簡については記述なし。
『近現代日本人物史料情報辞典 2』(伊藤隆、季武嘉也編 吉川弘文館 2005)
p212-213〈三島通庸〉の項あり。
「三島家に残された関係史料(中略)の大部分は、同家により昭和27年(1952)に国立国会図書館に寄贈された。」とあり。三島通庸の伝記(2冊)についても触れ、近年の三島通庸に関する伝記的研究のほとんどは、この2冊の伝記と「『三島通庸関係文書』を基本的な史料としたものである。 」ともある。
『日記書簡集解題目録 2 政治家・思想家』(日外アソシエーツ 1998)
p432-433〈三島通庸〉 「渡辺千秋関係文書」のみ。〈宮島誠一郎〉は索引になし。
〈三島通庸〉から調べる
『評伝三島通庸』(幕内満雄著 暁印書館 2010)手がかりなし。
『福島県史 11 資料編』(福島県編 臨川書店 1986)
目次より、三島県令村上少書記官との往復文書(1-4)が収録されていることはわかるが、質問の書簡は見あたらない。
新井登志雄「三島通庸の基礎的研究」(『日本歴史 401』p53-72 吉川弘文館 1981年10月)
質問の書簡についての記述なし。
〈宮島誠一郎〉から調べる
『幕末維新期の情報活動と政治構想 宮島誠一郎研究』(由井正臣編 梓出版社 2004)
p313-336「宮島誠一郎文書について」記述あり。
p325〈書簡之部〉 三島通庸の名あり。ただし、これは三島通庸から宮島誠一郎に宛てたものと思われる。
p145(明治10年ころ)の記述(三島と宮島が関わるあたり)の注23(p166)から『山形県史 4』に関連記述のあることがわかる。
『山形県史 4』(山形県 1984)
p197(明治9年以降の部分で)三島が宮島から情報を得ているという記述のあとに「「栗子山隧道工事始末記」『山形県史』資料篇2」」とある。(質問の書簡とは関連がないと思われる)「山形県史 資料篇2」は県立図書館・県内公共図書館・文書館未所蔵。
『戊辰雪冤 米沢藩士・宮島誠一郎の「明治」』(友田昌宏著 講談社 2009)
p241三島通庸の名前あり
p256明治10年3月24日、前島密が三島通庸に宛てた書簡の引用あり。前後を見るが、質問の書簡は見あたらず。
『未完の国家構想 宮島誠一郎と近代日本』(友田昌宏著 岩田書院 2011)
巻末人名索引〈三島通庸〉と年代からp472-476あたりを確認するが、質問の書簡についての記述は見あたらず。
『明治文化全集 1 憲政篇』(明治文化研究会編 日本評論新社 1967)
p341-360宮島誠一郎「国憲編纂起原」
p15尾佐竹猛「『国憲編纂起原』解題」
明治5年4月-7年5月の左院における国憲編纂に関する事項を記したものなので、明治10年頃の書簡の記述なし。
宮島誠一郎の日記に手がかりがないか調べる
宮島は1850(嘉永3)から1908(明治41)までの膨大な日記を残している。日記に書簡の内容等が記されていないか探すが、質問の書簡が書かれた当時の日記の翻刻等は見あたらなかった。
大久保利謙「宮島誠一郎とその日記(1)」(『日本歴史 300号』吉川弘文館 1973年5月 p190-194)
p194に「51 養浩堂日録 明治十年丁丑 半紙版 一冊 一月一日 - 十一月二十三日」とある。
明治10年頃の日記は「養浩堂日録」と判明するが、翻刻なし。
『大久保利謙歴史著作集 2 明治国家の形成』(大久保利謙著 吉川弘文館 1986)
巻末索引〈宮島誠一郎〉から以下の箇所を確認する。
p179-190「宮島誠一郎の『新設内務省議』」明治5年の日記の抜粋あり。
p187宮島誠一郎宛、高崎五六の書簡あり。(明治5年「戊辰日記」)
p264-295「三島通庸の東北開発」
p280-281明治10年頃の記述があるが、質問の書簡については言及なし。
国立国会図書館の《リサーチ・ナビ》で確認する。
「三島道庸関係文書」の情報を得る。
「宮島誠一郎関係文書」
(http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/miyajimaseiichirou1.php 国立国会図書館 2012/09/25最終確認)
- 事前調査事項
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「三島通庸関係文書目録」(国立国会図書館)p51「194 宮島誠一郎-3」を確認した。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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「三島通庸関係文書」(国立国会図書館)
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「三島通庸関係文書」(国立国会図書館)
- キーワード
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- 三島 通庸(ミシマ ミチツネ)
- 宮島 誠一郎(ミヤジマ セイイチロウ)
- 書簡文
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000111731