レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/10/30
- 登録日時
- 2021/07/26 00:30
- 更新日時
- 2021/08/03 09:14
- 管理番号
- 所沢富岡-2021-004
- 質問
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解決
検非違使を解任、配流された平(山木)兼隆が「伊豆国」の「目代」になった時、その知行国主は平時忠だったと聞いたのだが、二人の間には何か関係が有ったのか?
- 回答
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平兼隆の検非違使としての活動が記録に残る「安元二年(一一七六)四月二十二日」当時、検非違使の別当は平時忠でした。このことから、「時忠は兼隆のことをよく知っていた」と考えられています。
以下の資料に記載があります。
〇『保元・平治の乱と平氏の栄華』 元木泰雄/編 清文堂出版 2014年
〇『院政期武士社会と鎌倉幕府』 川合康/著 吉川弘文館 2019年
〇『東国武士と京都』 野口実/著 同成社 2015年
〇『史料大成 第29巻』 臨川書店 1975年
〇『国史大系 第54巻』 黒板勝美/編輯 吉川弘文館 2001年
また、インターネット上で公開されている以下の論文にも記載があります。
【京女AIR(Kyojo Academic Information Repository)」】
〇「院政期における伊勢平氏庶流:「平家」論の前提作業」(著者:野口実)
- 回答プロセス
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1.市内所蔵資料の内容を確認する
〇『保元・平治の乱と平氏の栄華』 元木泰雄/編 清文堂出版 2014年
p.329-353 平時忠と信範」の項目あり
p.331-332 「表1 平時忠と信範 官歴比較」あり
p.340-342 「表3 院政期の歴代別当」に以下の記載あり
※「29 平時忠 仁安3(1168),7,3~嘉応1,12,28解官」
※「31 平時忠 安元1(1175),12,12~安元2,12,8」
※「33 平時忠 治承3(1179),1,19~(1181,閏2,4清盛薨)~養和1,9,7」
×『検非違使』 丹生谷哲一/著 平凡社 2008年
2.埼玉県内所蔵資料の内容を確認する
〇『院政期武士社会と鎌倉幕府』 川合康/著 吉川弘文館 2019年 埼玉県立図書館 狭山市立図書館所蔵あり。
p.42-44 「最後にもう一人取り上げておきたい流人は、平兼隆である。(中略)兼隆は、安元三年(一一七七)の延暦寺大衆による強訴事件では、検非違使として後白河院の命を受けて前天台座主明雲を警護しており、(中略)治承三年(一一七九)一月に、理由は不明ながら父信兼の訴えにより右衛門尉を解任され、伊豆国田方郡山木郷に配流された。翌治承四年(中略)同年六月二十九日には伊豆国の知行国主に平時忠、伊豆守に猶子時兼が任じられ、流人であった平兼隆も、京で形成された時忠との人脈から「当国目代」に任用されることとなる。(以下略)」との記載あり
p.58 「注(101)」に以下の記載あり
※「平兼隆が検非違使であった安元二年時点での検非違使別当は平時忠であり、時忠は兼隆のことをよく知っていたものと思われる」
〇『東国武士と京都』 野口実/著 同成社 2015年 埼玉県立図書館含む複数館所蔵あり。
p.149 「注(6)」に以下の記載あり
※「伊豆の流人であった兼隆が平治の乱以降、長くこの国の知行国主をつとめた源頼政の敗亡の後、新たに知行国主となった平時忠から目代に登用されたことはよく知られている。彼は伊勢平氏一族の出身であり、かつて検非違使別当平時忠のもとで判官として活動した経歴を持つ存在だったのである(拙稿「院政期における伊勢平氏庶流―「平家」論の前提作業―」京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第一六号、二〇〇三年)」
3.前出の研究論文の内容を確認する
〇「京女AIR(Kyojo Academic Information Repository)」
→『院政期における伊勢平氏庶流:「平家」論の前提作業』(著者:野口実)
p.16-19 「Ⅳ 兼季流」の項目の中に「〈か〉兼高」の項目があり、以下の記載あり
※「源頼朝の挙兵のさいに討たれた伊豆目代山木判官兼隆である。」
※「『吉記』安元二年(一一 七六)四月二十二日条の賀茂祭の記事に、検非違使の右尉として平兼隆が見える。」
※「『山椀記』治承二年正月二日条に「大夫尉兼隆」、同書の翌日の条には「六位尉」、七日条には「五位」として所見する。また、翌年正月三日の条には「右尉平兼隆」と見える。」
4.出典史料の内容を確認する
〇『史料大成 第29巻』 臨川書店 1975年(『吉記 1(自承安三年至寿永元年)』)
p.76-78 (安元二年四月)「賀茂祭事。廿二日〔丙申〕」の項目あり
p.77 「右尉平兼隆、不差劔尻鞘
〇『国史大系 第53巻』 黒板勝美/編輯 吉川弘文館 2001年(『公卿補任 第1編』)
p.481 (承安五年 乙未 七月廿八日改元安元々年)(權中納言 従二位)「平時忠 四十六」の項目あり
※「中宮權大夫。十一(十二煕)月十二日任右衛門督。爲使別當。」との記載あり
p.482 (安元二年 丙申)(權中納言 従二位)「平時忠 四十七」の項目あり
※「別當。右衛門督。中宮權太夫。十二月八日辭別當。」との記載あり
△『訓読玉葉 第4巻』 [九条兼実/原著] 高科書店 1989年
p.320 (治承四年九月大)「三日壬子」の項目あり。平兼隆の「検非違使」としての記録があるが、平時忠の「検非違使別當」在任期間に含まれない
△『史料大成 第27巻』 臨川書店 1975年(『山槐記 2』)
p.87-88 (治承二年正月)「二日丁酉」の項目あり
p.88-90 (治承二年正月)「三日戊戌」の項目あり
p.93-101 (治承二年正月)「七日壬寅」の項目あり
p.205-207 (治承三年正月)「十九日戊寅」の項目あり
兼隆と時忠の記載あり
△『大日本古記録 愚昧記 中』 [藤原実房/記] 岩波書店 2013年
p.225 (治承元年五月)「十六日」の項目に以下の記載あり
「延暦寺大衆明雲ヲ奪取セントストノ風聞アリ 明雲事 或説云、大衆可奪取明雲之由風聞、仍平兼隆 検非違使也、和泉守(平)信兼子也、 奉院宣守護、迎云、大衆欲奪取而責、若難去者、只可切明雲頸云〃」
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- 保元・平治の乱と平氏の栄華 元木泰雄/編 清文堂出版 2014.3 281.04 978-4-7924-0994-4
- 院政期武士社会と鎌倉幕府 川合康/著 吉川弘文館 2019.2 210.39 978-4-642-02954-4
- 東国武士と京都 野口実/著 同成社 2015.10 210.4 978-4-88621-711-0
- 史料大成 第29巻 臨川書店 1975 210.088
- 国史大系 第54巻 黒板勝美/編輯 吉川弘文館 2001.1 210.08 4-642-00357-6
- 院政期における伊勢平氏庶流:「平家」 論の前提作業 http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/handle/11173/1771 2021/07/11
- キーワード
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- 平氏
- 検非違使
- 平兼隆
- 平時忠
- 平家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000302222