レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月19日
- 登録日時
- 2016/08/26 18:31
- 更新日時
- 2017/07/26 14:33
- 管理番号
- 相大-H28-024
- 質問
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解決
『さねさし 第30号』p3「下溝の一里塚はここだ!」の記事は合っているのか知りたい。
相模原市の一里塚(新戸)から町田市の一里塚(木曽)までのルートの詳細が分かる資料が見たい。
- 回答
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以下の資料を提供した。
『相模原市文化財展 第41回』p34-37に新戸一里塚から木曽一里塚までのルートなど詳細記事あり。
- 回答プロセス
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事前調査事項の『さねさし 第1号(平成16年7月)~』 相模原市文化財調査普及員広報グループ/著 相模原市教育委員会文化財保護室 2004 【s23316573 K1-06オレンジ】の記事に記載されている資料『相模国風土記稿』の内容を確認する。
・『新編相模国風土記稿第3巻』 蘆田伊人/校訂 雄山閣出版 1998 【s15527906 K0-29】
p358「下溝村」の項に「二ツ塚 一里塚なり高さ九尺~」とあるが、場所やルートの詳細はなし。
自館OPACで“イチリヅカ”をキーワードに、対象を郷土資料で検索する。
・『相模原市文化財展 第41回』 第41回相模原市文化財展実行委員会/編 相模原市 2016 【s30722011 K1-06オレンジ】
p34-37「下溝一里塚の復元《下溝一里塚と北端点との位置関係解明》」に『さねさし 第30号』の記事と同じ調査班によるルートなども含めた詳細記事あり。
・『さがみはらの地名』 相模原市教育委員会/編 相模原市教育委員会 1990 【s07726474 K1-29アオ】
p32「一里塚」の項に「麻溝台地区にも「二ツ塚」と呼ばれる一対の塚があり、~」との記載はあるが、場所やルートの詳細はなし。
直接、郷土資料の棚を探す。
・『かながわの古道』 阿部正道/著 神奈川合同出版 1985 【s07473754 K0-29】
p164「府中通り大山道」の項に「~木曽に至り、相模原台地を横切り磯部(相模原市)から~」との記載はあるが、場所やルートの詳細はなし。
次にGoogleで“相模原 一里塚”で検索する。
相模原市ホームページ内の「49.新戸の一里塚(しんどのいちりづか)」がヒットする。「新戸の一里塚は、旧新戸村東、府中街道沿いにあった~。府中道は旧新戸村から、現在一里塚が残されている町田市の木曽、小野路をとおり武蔵府中へ至る道筋です。」との記載はあるが、ルートの詳細はなし。http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kyouiku/bunkazai/list/21982/006180.html (2016.8.27最終確認)
注:【 】は自館の資料コードと請求記号
- 事前調査事項
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・『さねさし 第1号(平成16年7月)~』 相模原市文化財調査普及員広報グループ/著 相模原市教育委員会文化財保護室 2004 【s23316573 K1-06オレンジ】 第30号p3「下溝の一里塚はここだ!」『相模国風土記稿』をもとにしたと思われる相模原市側の一里塚に対する調査記事あり。
・『町田市史 下巻』 町田市史編纂委員会/編 町田市 1984 【s15497704 K9-21町田】 p1631-1632「第四節 市指定の文化財」の「一里塚」に「~、木曾の一里塚につづく一里塚は相模原市大沼町桜株に残っており、東側の次の一里塚は小野路にある。」とあり。
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『相模原市文化財展 第41回』 第41回相模原市文化財展実行委員会/編 相模原市 2016
- 『さねさし 第1号(平成16年7月)~』 相模原市文化財調査普及員広報グループ/著 相模原市教育委員会文化財保護室 2004
- キーワード
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- 一里塚
- イチリヅカ
- イチリズカ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000196412