雨森芳洲(あめのもりほうしゅう) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
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(1668―1755)
江戸中期の儒者。名は俊良(しゅんりょう)、東(とう)、誠清(のぶきよ)。通称東五郎、字(あざな)は伯陽(はくよう)。芳洲、尚絅堂(しょうけいどう)、橘窓(きっそう)と号した。・・・
参考文献
映像文化協会編『江戸時代の朝鮮通信使』(1979・毎日新聞社)
中村幸彦著「雨森芳洲とその交友」(『中村幸彦著述集 第11巻』1957・中央公論社・所収)
雨森芳洲 【あめのもり・ほうしゅう】 コトバンク
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朝日日本歴史人物事典
生年: 寛文8.5.17 (1668.6.26)
没年: 宝暦5.1.6 (1755.2.16)
江戸中期の対馬藩の儒学者。清納の子。通称は東五郎,朝鮮では雨森東の名で知られる。初め俊良,のち対馬藩主宗義誠より諱の1字を与えられ誠清と称する。字は伯陽。号は芳洲,橘窓,尚絅堂。生まれは近江国(滋賀県)伊香郡高月の雨森,一説に町医者だった父が開業していた京都とも。・・・
<参考文献>『雨森芳洲全書』,中村栄孝『日鮮関係史の研究』下,上垣外憲一『雨森芳洲』,田代和生「対馬藩の朝鮮語通詞」(『史学』60巻4号)
あめのもりほうしゅう【雨森芳洲】 国史大辞典
一六六八 - 一七五五
江戸時代中期の儒学者。名は俊良、また誠清、また東、字は伯陽、通称は東五郎。芳洲また尚絅堂と号した。近江国伊香郡雨森の出身。・・・
著書に『芳洲詩集』一巻、『芳洲口授』一巻、『橘窓文集』二巻、『橘窓茶話』三巻、『多波礼草』三巻などがある。
[参考文献]
伊東尾四郎「雨森芳洲遺事」(『歴史地理』一六ノ五)