レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年01月05日
- 登録日時
- 2023/06/28 18:07
- 更新日時
- 2023/07/13 14:04
- 管理番号
- 中央-1-0021640
- 質問
-
解決
秩父市の廃村群の歴史について調査をしている。この土地に関連する情報を総合的に収集したい。
該当の集落については以下のとおり。
<浦山地区>
・茶平 ・冠岩 ・栗山 ・巣郷 ・岳(嶽?) ・細久保 ・山掴
<横瀬町>
・楮久保
<下吉田地区>
・粟野
<旧名栗村>
・白岩
上記集落について、「土地の歴史(成り立ちや沿革、主な事件など)」「土地の風習・文化・教育」「土地の暮らし(食生活・生業・人口推移・廃村時期など)」「土地に存在する寺社仏閣についての情報」が分かる資料があれば教えてほしい。
- 回答
-
該当の集落について記述のある資料を紹介した。
★印をつけているものは、複数地区にまたがって記述があるため、重複して紹介するもの。
【浦山地区】(茶平、冠岩、栗山、巣郷、岳(嶽)、細久保、山掴)
・『秩父市浦山民俗調査報告書』埼玉県教育委員会 1969年
埼玉県教育委員会が昭和28年度に実施した秩父市浦山地区(当時は秩父郡浦山村)の民俗調査の報告書。
第1章「浦山村概観」 第2節「部落」
p2 部落一覧に該当集落すべてあり。
茶平(ちゃでえら)、冠岩(かむりいわ)、栗山(くりやま)、巣郷(すごう)、嶽(たけ)、細久保(ほそくぼ)、山掴(やまづかみ)
昭和28年と昭和8年の部落ごとの戸数、人口が掲載されている。
また、部落ごとではないが、生業、住居、衣服、食事、信仰、年中行事などが詳しく書かれている。
・『浦山-秩父市浦山地区総合調査報告書-』浦山地区総合調査会 1982年
茶平(ちゃでえら)、冠岩(かむりいわ)、栗山(くりやま)、巣郷(すごう)、嶽(たけ)、細久保(ほそくぼ)、山掴(やまづかみ)について記述あり。(宗教、建築の章は一部の集落のみ)
p55-73「浦山の行政」
p58 旧浦山村部落別世帯人口(昭和30年10月1日)
p75-96「浦山の行政」
p78 表1「浦山における世帯数・人口の推移」
・昭和54年6月から昭和56年6月までの2年間のアンケート調査をもとにしたもの。
・部落ごとの、昭和30年、41年、55年の世帯数・人口が一覧になっている。
p208-238「浦山の宗教」
石仏や小祠の分布や信仰祭礼行事の情況について、部落ごとの説明がある。
p239-246「浦山の建築」
部落の家屋について、間取りや構造、個人宅の家紋や屋号などについて書かれている。
・『秩父浦山ぐらし』黒倉正雄/著 斎藤たま/著 新宿書房 2005年
p103-105「嶽部落」の項に、過疎になったこの地域について記述がある。
・『記憶に残る廃村旅』浅原昭生/著 実業之日本社 2021年
p62-65「岳」(秩父市浦山字岳)掲載
移転年:1980(昭和55)年頃、戸数:10戸(昭和30)、標高:571m(神社)
岳、茶平、山掴の集落を訪ねた記録。十二社神社があり、神社では8月4日に例祭をしている、という程度の情報あり。
・『廃村をゆく [1] 消えゆく日本の村々を巡る』イカロス出版 2011年
p20-23「浦山地区(岳・茶平・大神楽・山掴)」探訪の記録
「昭和30(1955)年に10戸44人が住んでいた岳集落は、今は無人となっている。」
「その名の通り昔はお茶の産地だったらしい。(中略)昭和30年に16戸75人が住んでいた茶平集落は、今は旧集落から離れた場所に3戸残るのみである。」
「昭和62(1987)年の住宅地図には12戸の家が見られた下山掴が、平成9(1997)年には無人となった理由はダム建設の影響、急峻な地形、地すべりの危険性のためという。」
★『廃村と過疎の風景』浅原昭生/著 HEYANEKO 2010年
p29-31「廃村を結ぶハイキングコース」~埼玉県名栗村白岩・秩父市冠岩
白岩と冠岩を探訪した記録
・『廃村と過疎の風景 2』浅原昭生/著 HEYANEKO 2010年
p32-35「山の斜面にある暮らし、あった暮らし 平成13年秋」埼玉県秩父市細久保、山掴
p47-50「山の斜面にある暮らし、あった暮らし 平成14年春」埼玉県秩父市岳、茶平、武士平、大神楽、山掴
細久保、山掴、岳、茶平、武士平、大神楽を探訪した記録
★『峠 秩父への道』大久根茂/著 さきたま出版会 1995年
p143-154「鳥首峠」(秩父市浦山-入間郡名栗村上名栗)の項で、冠岩集落・白岩集落についての記述あり。暮らしの様子や伝説等について触れられている。
・『秩父往還いまむかし』飯野頼治/著 さきたま出版会 1999年
p112-122 細久保集落、冠岩集落についての記述あり。暮らしの様子や伝説等について触れられている。
【横瀬町】(楮久保)
・『埼玉県史民俗調査報告書-山地地帯民俗調査-』埼玉県県民部県史編さん室/編集 埼玉県県民部県史編さん室 1980年
p63-147「秩父郡横瀬村赤谷地区」
p105「ムラの範囲と大字」の説明に「芦ヶ久保の中のムラは赤谷、姥神、楮久保の3つである」
p108「離村」の説明に「楮久保は10年前程前から2軒だけになってしまった。家は取り壊した人もあるが、そのままにしていった人もある。土地は売ってしまった人と、売らずに残していった人がいる」とあり。
・『秩父丹党考』井上要/著 埼玉新聞社 1991年
p139「横瀬村根古屋に秩父絹発祥の地があり、慶雲3(706)年高麗羊太夫が芦ヶ久保村楮久保に来て、楮の加工を伝える。」
・『秩父の民俗 山里の祭りと暮らし』栃原嗣雄/著 幹書房 2005年
p214-230「横瀬町芦ヶ久保のオショウジン」で、オショウジンと呼ばれる習俗について記述。楮久保も出てくる。
・『秩父 清水武甲文集2 山と生活』清水武甲/著 言叢社 1983年
p74-75「楮久保という耕地は終戦時は20戸近くあった耕地でしたが、全家族が山を下ってしまって、今日耕地のあった所に立って見ても、見渡す限りスギの森林と化して、耕地であったとは考えられないのです。」
・『旅と伝説 第14巻 通巻七十九号~八十四号』岩崎美術社 1978年
通巻82号(1934年(昭和9年)10月号) p58「一つの嚢」高橋文太郎
楮久保を訪ねた際に、住んでいる人たちがショイコという名の嚢を背負って作業していた、という記述あり。
【下吉田地区】(粟野)
・『秩父の伝説 語り継ぐふるさとへの想い』秩父の伝説編集委員会/編集 秩父市教育委員会 2007年
p270-271「粟野の坊さんと井上の娘」
秩父市下吉田粟野に伝わる伝説
・『吉田町史』吉田町教育委員会/編集 吉田町 1982年
p646 秩父事件の項で、明治17年10月26日に幹部の者が蜂起を決めた会議の場所が粟野山だった記述あり。
・『秩父事件史』浅見好夫/著 言叢社 1990年
p44 粟野山会議の項で、粟野山の説明として「粟野山は井上伝蔵の住む下吉田村井上部落の北方にあり、東の阿熊村からも、また西の石間村からも直通の道があって、これまでも山林集会を開いたことがあり、人目につきにくいところ(以下略)」とあり。
【旧名栗村】(白岩)
・『武蔵国郡村誌 第7巻 限定版』埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954年
p19 上名栗村
p20下段 字地に「白岩」の記述あり。「人見の西北に連る東西十六町五十間南北十七町三十間」
・『名栗の歴史 下』飯能市名栗村史編集委員会/編集 飯能市教育委員会 2010年
p10「上名栗村新・古組の廃止と村組の再編」
「近世の村内には、日常生活の領域を単位とした地域集団である「村組」が存在していた」とあり、p12の地図には「白岩組」が出てくる。
・『名栗の民俗 上』さいたま民俗文化研究所/編集・制作 名栗村教育委員会 2004年
第二章「着物・食べ物・住まい」第三節「住まい」
(一)名栗村の集落と民家
p157-158「消えた集落」の項目に下記の記述あり。
「(略)名栗川上流に位置する林道沿いの山の中腹には、山中、白岩、蝉指の三集落があり、そこでは林道から屋敷までの間にジグザグな山道を開き、これを生活道路としていた。(略)こうした山の中腹は、山仕事には便利であっても生活には難を極める。そのため、時代とともに山を下りる家が相次ぎ、現在は白岩に一戸と蝉指に一戸を残すのみとなっている。集落は、事実上消滅したのである。」
第三節にはこの他にも、名栗村全体の民家の構造や住まい方など詳しく書かれているが、白岩に限ったものではない。
第五章「昔がたり」
p349-353「(九)白岩の平家落人伝説」
「上名栗の鋼管鉱業(現JFEミネラル)から先の道はさらに厳しくなる。無住の家が見えてきた。廃屋である。白岩の集落であった。集落は一〇年ほど前から一軒減り一軒が消えていったと聞く。かつて白岩の最盛期には、二三戸を数える炭焼き主体の人々が住んでいたという。二三戸の家屋のうちで、さらに峠へつづく最奥に、六軒の家があった。」という出だしから始まり、続いて白岩の伝説が紹介されている。
★『廃村と過疎の風景』浅原昭生/著 HEYANEKO 2010年
p29-31「廃村を結ぶハイキングコース」~埼玉県名栗村白岩・秩父市冠岩
白岩と冠岩を探訪した記録
★『峠 秩父への道』大久根茂/著 さきたま出版会 1995年
p143-154「鳥首峠」(秩父市浦山-入間郡名栗村上名栗)の項で、冠岩集落・白岩集落についての記述あり。暮らしの様子や伝説等について触れられている。
- 回答プロセス
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●秩父関係の本を見る
×『秩父の地名伝説の虚実(うそほんと)』高田哲郎/著 東京図書出版 2021年
特に上記の集落に関する記述はなかった。
△『秩父学入門-わが愛する風土へ-』清水武甲/監 さきたま出版会 1984年
p117-132 戦前の秩父の集落について解説されているが、上記の廃集落等の名称や歴史については見当たらず。
レファレンス協同データベースに以下の質問があった。秩父市以外も対象になっているようであるが、参考までに。
「埼玉県内の山間部などで、どの集落がなくなったかをまとめた報告書はあるか。過疎化やダム建設、農林業の不振等でなくなった集落は多いのではないか。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000062296(2023.7.5最終確認)
×『秩父市誌』秩父市誌編纂委員会/編 埼玉県秩父市 1962年
歴史や町村合併の章をざっとみたが該当集落なし。
△『名栗の歴史 下』飯能市名栗村史編集委員会/編集 飯能市教育委員会 2010年
×『日本歴史地名大系 11 オンデマンド版 埼玉県の地名』平凡社 2004年
集落までは載っていない。
×『大日本地誌大系 18 新編武蔵風土記稿 第12巻』雄山閣 1981年
秩父郡。横瀬町や下吉田町の項目はあるが、該当集落の記述なし。
△『武蔵国郡村誌 第7巻 限定版』埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954年
○『秩父市浦山民俗調査報告書』埼玉県教育委員会 1969年
○『浦山-秩父市浦山地区総合調査報告書-』浦山地区総合調査会 1982年
○『名栗の民俗 上』さいたま民俗文化研究所/編集・制作 名栗村教育委員会 2004年
×『名栗の民俗 下』さいたま民俗文化研究所/編集・制作 飯能市教育委員会 2008年
第一章「名栗の自然と風土」 第二節「社会生活」
p18-30名栗村の組織について書かれているが、白岩に特化した記述(上巻に書かれているような集落に関する記述)はない。
○『埼玉県史民俗調査報告書-山地地帯民俗調査-』埼玉県県民部県史編さん室/編集 埼玉県県民部県史編さん室 1980年
△『秩父浦山ぐらし』黒倉正雄/著 斎藤たま/著 新宿書房 2005年
×『埼玉県市町村誌 第11巻』埼玉県教育委員会 1977年
横瀬村の付図(昭和42年7月30日、昭和45年11月30日発行)に「楮久保(かずくぼ)」の地名を確認できるのみ。
△『吉田町史』吉田町教育委員会/編集 吉田町 1982年
●廃村関係の本からもアプローチしてみる
×『日本廃村百選 ムラはどうなったのか』浅原昭生/著 秋田文化出版 2020年
×『廃村をゆく 2 往時の面影を求めて』イカロス出版 2016年
×『廃村と過疎の風景 3~10』浅原昭生/著 HEYANEKO 2009~2018年
△『記憶に残る廃村旅』浅原昭生/著 実業之日本社 2021年
△『廃村をゆく [1] 消えゆく日本の村々を巡る』イカロス出版 2011年
△『廃村と過疎の風景』浅原昭生/著 HEYANEKO 2010年
△『廃村と過疎の風景 2』浅原昭生/著 HEYANEKO 2010年
●『廃村と過疎の風景』の参考文献を見る
○『峠 秩父への道』大久根茂/著 さきたま出版会 1995年
○『秩父往還いまむかし』飯野頼治/著 さきたま出版会 1999年
●横瀬町の楮久保と下吉田地区の粟野についてもう少し探してみる
△『秩父丹党考』井上要/著 埼玉新聞社 1991年
×『秩父武甲山総合調査報告書 別編3 横瀬町地誌』[武甲山総合調査会]/[編] 武甲山総合調査会 1987年
p77に「カズクボ(楮久保)組」が出てくるのみ。
●埼玉関係データベースで検索
「楮久保」
・『横瀬町誌 資料編 旧家総覧』横瀬町史編さん委員会/編 横瀬町 1986年
p257~の「八 旧家調査「芦ヶ久保」」の二十一区に「楮久保」があるよう。
この資料はさいたま市所蔵なし。
「粟野」
・関係ありそうな資料ヒットせず。
●Googleブックスで検索
「楮久保」
○『秩父の民俗 山里の祭りと暮らし』栃原嗣雄/著 幹書房 2005年
「粟野」
△『秩父事件史』浅見好夫/著 言叢社 1990年
○『秩父の伝説 語り継ぐふるさとへの想い』秩父の伝説編集委員会/編集 秩父市教育委員会 2007年
●国立国会図書館デジタルコレクションで検索
「楮久保」
△『旅と伝説 第14巻 通巻七十九号~八十四号』岩崎美術社 1978年
△『秩父 清水武甲文集2 山と生活』清水武甲/著 言叢社 1983年
×『秩父 清水武甲文集3 写真歳時記』清水武甲/著 言叢社 1983年
「粟野」
秩父事件関係の資料がほとんど。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 秩父市
- 廃村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000335040