レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年11月10日
- 登録日時
- 2012/12/01 11:21
- 更新日時
- 2012/12/01 11:21
- 管理番号
- tr258
- 質問
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解決
栃木県に藤岡という地名が残っているが、そこにあった藤岡城や藤岡氏についての記録を見ることができるか。
- 回答
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現在、栃木県栃木市に藤岡という地名があり、『角川日本地名大辞典 9』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1984)には「藤岡城」という項目があります(p787)。
しかし、『藤岡町史』を確認すると、藤岡城及び藤岡氏の存在については懐疑的な見解もあるようです。関連する記述は以下のとおりです。
・『藤岡町史 通史編 前編』(藤岡町史編さん委員会/編 藤岡町 2004)p281-292
「第6章 沼尻の合戦 1 藤岡城の領主の変遷 1 藤岡城と藤岡」で、藤岡城については「藤岡城の起原・築城・構造・歴代城主など当時の文書史料に明確に記録されたものはない。伝承として語り継がれてきている。」とし、藤岡氏の伝承についても「藤岡氏の存在について、町内では戦国期に藤岡氏が藤岡城に在城していたという根強い伝承が残っている。しかし、その確証になる文書史料などは確認できず、藤岡氏の存在は明らかにできなかった。」と記されています。こうした前提の元で、町史では史料から読み取れる範囲の藤岡城の歴史や性格、ゆかりの人物等について考察しています。
・『藤岡町史 通史編 後編』 (藤岡町史編さん委員会/編 藤岡町 2004)p136-140
「第4章 地域社会の生活文化と宗教 3地域における由緒」で、藤岡氏や藤岡城の伝承の元になった「藤岡記録」という史料について、その内容や来歴について考察しています。
・『藤岡町史 資料編 古代・中世』 (藤岡町史編さん委員会/編 藤岡町 1999)p327-333
「第3章 中世城館 1 藤岡城」で、藤岡城の地誌・概略・歴史等について述べ、藤岡城位置図や、国立国会図書館所蔵の「下野藤岡古城絵図」等、図版も紹介されています。通史編同様、「藤岡城の歴史は史料に基づいて明確に語られたことが少なく、多分に伝承の世界の中で語り継がれている。起原は古く平将門が築城し、寛仁二年(1018)足利成行が再興し、中泉城と名付けた。以後、その子孫が富士姓さらには藤岡姓に改称し継承したとする。天正五年(1577)に藤岡佐渡守清房の時、佐野氏に攻められて落城。藤岡清房は自害したとする。その後、北条氏によって藤岡城が藤岡氏に戻され藤岡清房の遺児又太郎が城主となり、幼い城主に替わって茂呂弾正久重が城代となったと語っている。これらの伝承は旧版『藤岡町史』(1975)に手際良くまとめらている。
しかし、これらの伝承を裏付ける一次史料は存在しない。とりわけ戦国期に藤岡氏なる一族が藤岡町城に存在したことは目下のところ微塵も確認されない。」とし、近年の研究成果の報告等についても述べられています。
なお、引用文中の「旧版『藤岡町史』」について、『藤岡町史』は1975年に出版された「旧版」と、1999-2004年に全10巻刊行された「新版」があります。文中の資料は「旧版」の『藤岡町史』(藤岡町史編さん委員会/編 藤岡町 1975)で、「新版」では「裏付けのない伝承」とされた藤岡氏・藤岡城の話が、p35-46の「第3編政治資料からみた郷土 第3章 武士の興亡」に通史として記述されています。
藤岡氏・藤岡城に関する、新版町史と旧版町史の見解の違いについては、以下の論文でも指摘されています。
・『藤岡史談』創刊号(藤岡町古文書研究会/編 藤岡町古文書研究会 1995)
小山弘二「藤岡城と茂呂弾正について」p31~39
・『藤岡史談』第14号(藤岡町古文書研究会/編 藤岡町古文書研究会 1995)
小林利市「伝承藤岡佐渡守清房」p25~43
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 藤岡城
- 藤岡氏
- 藤岡町史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000115202