レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年09月14日
- 登録日時
- 2012/12/01 11:07
- 更新日時
- 2012/12/01 11:07
- 管理番号
- tr254
- 質問
-
解決
日光市の女峰山への登山道に、殺生禁断境岩という石標がある。これの由来が知りたい。殺生禁断境岩は、複数存在しているようだ。徳川家光が殺生禁断令を出しているようだが、これと何か関係あるのか。
- 回答
-
由来についての記述は、残念ながら確認できませんでしたが、所在地等についての記述でしたら、以下の資料に記載がありました。
・『日光修験道三峯五禅禅頂の道』(池田正夫/著 随想舎 2009)
「殺生禁断境石にて」との記述があり、この中で「『秘密記』には、殺生石の記載がある。「殺生石 暫ク休息 此ニ休之文有リ」とある。殺生石とあるのは、道沿いにある殺生禁断境石を指している。(略)近世期における神域内での殺生を禁じた「禁猟区」の標石である。」とあります。なお、ここでは「阿弥陀ガ峰の道筋」と「天狗沢を見下ろす張出し尾根」にある2基の境石が紹介されていますが、「二基とも建立年は不詳」とのことです。(p338-339)
・『山岳宗教史研究叢書 17』(五来重/編 名著出版 1983)
上記『日光修験道三峯五禅禅頂の道』にある『秘密記』が収録されています(収録名は「禅頂先達秘密記」)。p192に、上記引用部分が確認できます。
・『日光山の修験道』(根村隆賢/著 日光山輪王寺門跡執事局 1966)
「峰禅頂」の部分に境石の記述があり、「表に殺生禁断石の文字が刻まれており、昔の神域禁猟区の標示である。」と述べられています。(p132)
なお、徳川家光の殺生禁断令については、輪王寺のホームページ、過去の企画展のページで紹介されています。
○輪王寺 過去の企画展 第140回企画展 徳川家光公360年御遠忌特別展1
http://www.rinnoji.or.jp/keidai/homotu/past/140-1-iemitu360-1-onki/140-1-iemitu360-1.html
展示品の中に、「殺生禁断令(東山道)」があります。
その他、以下の資料を確認しましたが、関連する記述は確認できませんでした。
なお輪王寺の「殺生禁断令」についても併せて調査しましたが、記述は確認できませんでした。
・『修験道と念仏』(上田さち子/著 平凡社選書 2005)
・『里修験の研究 続』(宮本袈裟雄/著 岩田書院 2010)
・『修験道辞典』(宮家準/編 東京堂出版 1986)
・『人と動物の日本史 4』(中村生雄ほか/編 吉川弘文館 2009)
・『日本二百名山登山ガイド 決定版 上巻』(山と渓谷社 2007)
・『全集日本の食文化 第4巻』(芳賀登ほか/監修 雄山閣出版 1997)
・『狩猟と供犠の文化誌』(中村生雄/編 森話社 2007)
・『日本人の宗教と動物観』(中村生雄/著 吉川弘文館 2010)
・『古代の道』(武部健一/著 吉川弘文館 2004)
・『日光山地の狩猟風習』(栃木県立博物館/編 栃木県立博物館 1992)
・『日光山地の狩猟風習 後編』(栃木県立博物館/編 栃木県立博物館 1992)
・『東山道』(栃木県立なす風土記の丘資料館/編 栃木県教育委員会 2001)
・『日光山と関東の修験道』(宮田登/共著 名著出版 1979)
・『日光山輪王寺 第25号』(貴船諶道/編 日光山輪王寺門跡執事局 1966)
・『日光山輪王寺略史』(福井康順/著 日光山輪王寺 フメイ)
・『日光山縁起と狩猟信仰』(小島瓔礼/著 日本民俗学会 1963)
・『栃木県史 通史編2 古代(2)』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1980)
・『日光市史 中巻 近世』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
・『徒然の山』(石井貞男/著 随想舎 1994)
・『日光狩詞記』(日光二荒山神社文化部/編 日光二荒山神社文化部 1960)
・『宇都宮市文化財年報 第18号』(宇都宮市教育委員会文化課/編 宇都宮市教育委員会文化課 2003)
・『日光山彙狩猟の歴史のために』(近藤喜博/著 日光二荒山神社社務所 1959)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 殺生禁断境石
- 殺生禁断令
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000115197