レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20121120
- 登録日時
- 2013/07/17 00:30
- 更新日時
- 2013/07/18 17:03
- 管理番号
- 広県図20130003
- 質問
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解決
広島市宇品(うじな)にあった港劇場(みなとげきじょう)という映画館で,終戦後まもなく,『狸御殿』を観た記憶があるので,事実確認をしたい。
- 回答
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雑誌『シネマッド』に,昭和20年11月に港劇場で『歌ふ狸御殿』が上映されていたとの体験記が引用されていたので,提供した。
「廃墟の広島市内に入ったのは,昭和20年の秋色濃い11月の末頃であったろうか(略)市内で唯一焼け残った宇品の港劇場へ行こうとした。ところが困ったことに,電車の線路が復旧されておらず,宇品に着くまで何度か乗ったり降りたりの難行苦行であった。(略)たしか宮城千賀子主演の『歌う狸御殿』が上映されていたように記憶する。」(p8-9)とある。
- 回答プロセス
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先ず,歴史に関する資料を調査することにした。
『新修広島市史』を調べたところ,港劇場は戦前に宇品に設けられ,戦後も焼け残ったことが分かったが,上映に関する記述はなかった。
「被爆前の興行場は宇品の港劇場のみを残して他はすべて原爆で潰滅した。二十一年の二月になって,荒神橋東づめの大通りをはさんで北側に松竹系の広島劇場が,まもなく同一地区南側に大映系の国際劇場がそれぞれ開設され,新版「愛染かつら」や「悲しき口笛」など上映されたのが,敗戦後映画復活のさきがけであった」(p667)とある。
他に,宇品の地域誌,学校誌や,『年表ヒロシマ』『広島原爆戦災誌』といった復興関係資料も調査したが,映画館についての記述はなかった。
次に映画に関する資料を調査することにし,当館OPACをキーワード「広島×映画」で検索した。
「広島サロンシネマ(名画座時代 第12回)」という記事が,雑誌『通販生活』24巻2号に掲載されていたので調べたところ,「ピカドンのあと,一館だけ焼失をまぬかれた<港劇場>へ「オンボロ市電にぎゅうぎゅうつめこまれて通った」」との記述が見付かった。『ひろしまと映画』(広島県興行組合発行,1957)からの抜粋とあったが,当館では所蔵していなかった。
雑誌『シネマッド』に「私的戦後広島映画史」という連載があったので調べたところ,港劇場で『歌ふ狸御殿』が上映されていたとの体験記が引用されていたので,そちらを提供した。
なお,この体験記が最初に掲載されたのは,雑誌『映画手帖』の連載「私的/戦後広島映画史」だとある。当館では『映画手帖』(広島映画手帖社発行)を16巻(1968)から所蔵しているが,該当の記事を見付けることはできなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 映画 (778)
- 参考資料
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- 『シネマッド』5(44)シネマッド舎,2007.2 (p8-9 私的戦後広島映画史 連載第2回 砂漠で水を求めるような長蛇が-被爆後の宇品港劇場-)
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『新修広島市史 4巻 文化風俗史編』広島市役所,1958
(p488-493 映画
p666-671 戦後風俗文化の生態) - 『通販生活』24(2)カタログハウス,2005.5 (p182-187 名画座時代 第12回 広島サロンシネマ)
- キーワード
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- 映画館
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000133783