レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年12月05日
- 登録日時
- 2007/12/05 10:02
- 更新日時
- 2008/08/25 09:06
- 管理番号
- 7954
- 質問
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解決
築城清左衛門について
- 回答
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「弦打風土記」(高松市立弦打小学校PTA/編 高松市立弦打小学校PTA 1969年発行)
5章戦国時代の武将 (4)築城清左衛門(138~141頁)によれば、
「築城という字は色々あって、どれが正しいかははっきりしません。讃岐人名辞典には
「築城」とあり、寛永七年雪月十五日に岩田神社の再興を記録した棟札控帳には「都筑」とあり、
また香西氏の部将としての記録には「築城」とあるので、この書ではこれを用います。」
「築城清左衛門は兵学や築城の術に長じていたといわれ、従ってその職業の専門から
「築城」と、名のったのかも知れません。」
「築城氏は下飯田の城主で長く香西氏の部将でありました。飯田氏とともに天正十年八月五日、
香西の伊勢神宮の馬場の合戦(長曾我部との戦い)に先鋒をつとめて奮戦しました。天正十三年五月、
香西伊賀守佳清が香西を引き揚げて西長尾城へうつる時、飯田右衛門とともに謀議に参加して佳清の
家族らを世話しました。(讃岐人名辞典より)」
「また、築城清左衛門は仁義徳望のある人で、飯田八幡を創祀したと伝えられていますが、
この時の飯田八幡というのは岩田神社のことです。」
などの記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 築城清左衛門
- 香川県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000040045