静修学館について知りたい
○新修香川県史 香川県教育委員会/編 香川県教育委員会事務局 1953.3
p.665に
静修学館が天神前に所在しており、生徒70人、教師2人、校舎33坪という記述有。
○新修高松市史 2 高松市史編集室/編 高松市役所 1966.2
p.545に高松市の私塾一覧があり、次の記載有。
静修学館
所在地:天神前
創立:明治16年
廃止:明治26年
学科:漢学
設立者:牧野謙次郎
○香川県教育史 明治編2 熊野勝祥/編 香川県図書館学会 1995.3
p.319に記載があるが、内容は「新修高松市史 2 」と同じ。
○讃岐人名辞書 梶原竹軒/著 高松製版印刷所 1928.8
「静修学館」に関する記述はないが「牧野謙次郎」についての次の説明有。
「早稲田大学教授。同高等部師範部長。東京市外野方町江古町2274」
○「ワセダゆかりの人、ところ『早稲田 い・ち・ず』WWW版」
http://www.waseda.jp/koho/ichizu/index.htmlの「香川」の項
http://www.waseda.jp/koho/ichizu/kagawa.htmlに
次の説明あり。(結局、この記述以上に詳しい記述は見つかりませんでした)
「牧野謙次郎(1862~1937)
大隈重信が唱えた「東西文明の調和」という理念の追求は、古代中国の周末思想と古代ギリシア思想とを比較研究することから始まっている。1916年、当時の総長である塩沢昌貞が大隈に依頼され、その研究相手として推薦したのが、西洋哲学の金子馬治教授と古代中国思想の牧野教授であった。このとき、54歳の牧野は同僚の松平康国教授とともに東西文明調和研究会に欠かさず出席し、その知識の広さは大隈を大変喜ばせたという。主著『墨子国字解』は古代中国思想研究の名著として評価が高い。」
○ 香川県史 11 資料編 近代・現代史料1 香川県/編 四国新聞社 1986
p.629「37 讃岐国私立中学校一覧表」にM10「静修舎」、M11「静修学校」として記載有り。出典は「文部省第5.6年報」。
「主長タル者:牧野唯吉」とあり牧野謙次郎と同一人物かどうかは不明。
以下の資料には「静修学館」、「牧野謙次郎」に関する記述なし。
・香川県教育史 明治編1 熊野勝祥/編 香川県図書館学会 1994.5
・香川県明治教育史 熊野勝祥/著 香川県図書館学会 2000.12
・江戸時代人づくり風土記 47 香川 聞き書きによる知恵シリーズ ふるさとの人と知恵沖縄 加藤秀俊/〔ほか〕編纂 農山漁村文化協会 1993.1
・香川県人物・人名事典 四国新聞社/編 四国新聞社 1985
・香川県人物・人材情報リスト 2002 日外アソシエーツ/編 日外アソシエーツ 2002.1
・香川県大百科事典 四国新聞社出版委員会/編 四国新聞社 1984