レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/3/29
- 登録日時
- 2023/08/30 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-001069
- 質問
-
解決
【金沢の仏舎利塔について】 金沢の仏舎利塔は1974年に落慶したが、そもそもは1954年にインドのネルー首相から贈られた仏舎利が金沢に到着したことから始まっている。仏舎利塔の建立計画が進まなかった理由が知りたい。
- 回答
-
利用者の事前調査資料は以下のとおり。
『日本の仏舎利塔』(11825453)p.165-168「金沢仏舎利塔」
『風雲児・松本由』(11824790)p.218-226「苦心苦労の金沢仏舎利塔」
『北国年鑑 1955』(109144908)p.201「インドから石川県へ仏舎利」
『北国年鑑 1958』(109144935)p.158「仏舎利塔の建立依然難航」
『北国年鑑 1962』(109144962)p.138「仏舎利塔建設本決まり」
『北国年鑑 1964』(109144980)p.101「仏舎利奉安」
現地案内板、『金沢仏舎利塔だより』新年号 Vol.2-1(令和4年元旦)
以上の資料と市史年表の記載事項を整理すると以下のとおり。
昭和19年(1944)12月12日 ビルマ国から桜井兵五郎を通じて贈られた仏舎利が金沢に到着、石川郡湯涌谷村高尾山に建立の大東亜寺仮殿に安置された。
昭和29年(1954)5月4日 インドのネール首相から石川県民に贈られる仏舎利が金沢駅に到着、仏舎利奉迎奉賛会(総裁柴野知事)関係者ら約1,000人に迎えられ、東別院に仮安置された。
昭和32年(1967)4月 建立奉賛会が発足した。会長には林屋亀次郎氏が就任した。
昭和37年(1962)6月20日 石川県仏舎利奉賛会(林屋亀次郎会長)が東別院で総会を開き、37年5月頃に同別院境内に仏舎利塔を建設、引き続いて仏教センターを建てる方針を決めた。
昭和39年(1964)5月30日 仏舎利塔建設を鶴来町獅子吼高原と決定し、県仏舎利奉賛会共催の入仏式が行われた。
昭和49年(1974)9月28日 金沢仏舎利塔落慶式が奥卯辰山墓地公園入り口(若松町)の同塔前で営まれた。塔は金沢仏舎利塔奉賛会(会長松本由)の建立。
以下、質問者からの質問項目に沿って関連資料を整理する。
○仏舎利塔の建立計画が進まなかった原因(「巨額な工事費」、「真宗大谷派が気乗りしない」)
『石川県年表 昭和篇2』(119562465)p.805に「インドのネール首相から送られた仏舎利をおさめるための、仏舎利塔奉賛会発会式が東別院で行われた。[(昭和32年)4月8日・北国]」と記載されている。
『北国新聞』 昭和32年4月9日 7面「卯辰山に大パゴダ 「人類の平和」願い奉賛会結ぶ」に「なにしろ工費はパゴダ建築で推定二億円かゝるという巨額のためせっかくの奉賛会も自然消滅の形となった」、「石川県は地鎮祭のまゝ三年間も放りっぱなしで原因としては同仏舎利の世話と責任をネール首相から授かったのが日本山妙法寺で真宗王国の石川県では宗教界の有力者が乗気でなかったためといわれ、むしろ石川県宗教界は「ありがためいわく」の形だった」と記載されている。
○獅子吼高原の仏舎利塔について
『北国新聞』 昭和35年10月11日 9面 「盛大に仏舎利塔の定礎式 獅子吼頂上、一千人つどい」
『鶴来町史 現代篇』(11916860)p.555に「世界55か国から参加して落慶した獅子吼仏舎利塔」の写真あり。p.1172に「(昭和35年(1960)10.10「獅子吼高原に仏舎利塔を建立し、セイロン大使、イラン大使夫妻、インド特使、大谷光暢法主、藤井日達上人、林屋奉賛会長ら参列して定礎式を執行」と記載されている。
『北国新聞』 平成7年4月21日 23面 「めざめる獅子吼高原5 仏舎利塔 資金難で実現せず」に「仏舎利塔は当時、鶴来観光開発の常務取締役だった角永豊治さん=故人=が、インドのネール首相から仏舎利を送られた静岡市の藤井日達上人=故人=の元に通い詰め、ようやく譲り受けた」、「仏舎利は銀行の貸し金庫に眠っていたが、仏舎利塔の建設が実現しないため、今から十四、五年前に妙法寺側が引き上げた」と記載されている。
○昭和47年に松本由を会長とする奉賛会が組織され再び仏舎利塔建立の機運が高まった経緯
『北国新聞』 昭和47年12月17日 17面 「来月四月から着工へ 金沢仏舎利塔 奉賛会が発表」
『北国新聞』 昭和48年11月28日 13面 「「金沢仏舎利塔」 あす卯辰山で地鎮祭」
『北国新聞』 昭和48年11月29日 13面 「インド大使ら来県 きょう金沢仏舎利塔地鎮祭」
『北国新聞』 昭和48年11月30日 15面 「金沢仏舎利塔の地鎮祭 奥卯辰山公園」
『北国新聞』 昭和49年9月28日 17面 「きょう仏舎利塔の落慶式 インド駐日大使夫妻ら来県」
『北国新聞』 昭和49年9月29日 21面 「金沢市の奥卯辰山墓地公園 仏舎利塔の落慶式」
上記新聞記事に松本由が関与するようになった経緯や機運が高まった経緯は明示されていない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000337701