レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/3/9
- 登録日時
- 2023/08/30 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-001064
- 質問
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解決
【警察の歌について】 警察の歌「我が帽章と朝日影」を作詞した山川吉雄氏は金沢市出身らしい。その没年が知りたい。
- 回答
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○山川吉雄の略歴について
質問者からの情報提供によると、『満洲芸術壇の人々』p.132に山川吉雄の略歴が掲載されている。山川吉雄は明治10年3月5日に生まれ、加賀中学校を卒業し、大連警察署長を務めた。本籍は金沢市東馬場町、現住所は大連市紅葉町と記載されている。
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1907538/1/110 (図書館送信参加館・個人送信限定、2023年3月18日最終閲覧)
『警察学論集』第33巻9号 「警察歌についての一考察」 渡辺 忠威/著 p.98に、警察歌の一等当選者として「南満洲営口南本街警察署官舎 山川吉雄」の名前が掲載されている。
『朝鮮及満蒙に於ける北陸道人史』(129970810)p.596に山川吉雄の略歴が掲載されている。山川吉雄は明治11年に山川涼の嫡男として生まれ、金沢中学校卒業後、明治31年に石川県警察部に入り、同41年に関東都督府に転じ、大正5年営口警察署長、同10年大連警察署長を務め、昭和12年時点で大連郊外土地株式会社専務取締役を務めていた。本籍は金沢市東馬場町、現住所は大連市霧島町と記載されている。
『大連市史』(129086623)p.828に山川吉雄が大連郊外土地株式会社の専務取締役を務めていたことが記載されている。
『満洲銀行会社年鑑 昭和14年版』p.149(大連郊外土地株式会社)、p.162(大連乳業株式会社)、p.981(株式会社大連ミルクプラント)に山川吉雄の名前が掲載されている。
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1719419/1/1 (2023年3月18日最終閲覧)
『自伝』 津田 助三郎/著 p.57-58によると、山川吉雄は関東州方面委員を務めていた。
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/2975134/1/49 (図書館送信参加館・個人送信限定、2023年3月18日最終閲覧)
『昭和人名辞典』(11091217) 昭和18年『大衆人事録』第14版として発行 関東州p.47に山川吉雄の略歴が掲載されている。
『人事興信録 第14版 下』 昭和18年発行 p.ヤ63に山川吉雄の略歴が掲載されている。石川士族とのこと。
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1704455/1/796 (2023年3月18日最終閲覧)
○妻の実家の森田家について
義父、森田謙三郎は明治前期に羽咋郡に勤めていたことがわかる。
『石川県職員録 明治18年』
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/779006/1/25 (2023年3月18日最終閲覧)
『石川県学事報告 3・4』p.19
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/808117/1/23 (2023年3月18日最終閲覧)
義弟、森田源喜は大連で洋服店を営んでいた。
『大連商工案内 昭和14年版』
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1114245/1/66 (2023年3月18日最終閲覧)
『帝国信用録 32版(昭和14年)』
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1686696/1/1278 (2023年3月18日最終閲覧)
○山川家について
『加越能文庫解説目録 上』(119573816)所収「先祖由緒并一類附帳」p.259-260に山川姓は11件掲載されている。山川涼、東馬場町の記載なし。
『金沢・北陸の城下町 城下町古地図散歩1』(118578845)所収「金府大絵図」、『フォーラム・金沢』(11920317)付録「天保期金沢城下町絵図」の東馬場町付近に山川姓の記載なし。
『家屋ノ賃貸価格ニ関スル下調書 昭和五年度 旧第七区』(119527770)の東馬場町の項に山川姓は1件掲載されている。
『石川県電話番号簿 昭和23年』(118622040)p.73に山川姓は4件掲載されている。このなかに東馬場町の住人は含まれていない。
『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)の東馬場町付近に山川姓は見当たらず。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000337696