レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/3/8
- 登録日時
- 2023/08/30 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-001063
- 質問
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解決
【尾小屋鉱山と辰巳遊廓について】 尾小屋鉱山にあった料理屋について書かれた文献はないか。また、松任の辰巳遊廓の沿革や実態について書かれた文献はないか。
- 回答
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○尾小屋鉱山について
『近代石川県地域の研究』(11917681)p.179-205「尾小屋鉱山と横山鉱業部」
『ふるさと写真館』(118505938)p.86-87「横山家の尾小屋鉱山」、p.120「尾小屋鉱山でストライキ」、p.153「華麗なる一族~鉱山王・横山家の映画と没落~」、p.295「尾小屋鉱山休山を発表」
『からくり師大野弁吉とその時代』(118489262)p.353-375「石川県の近代鉱業と尾小屋鉱山」、p.372に「鉱山町に特有の遊廓の形成と「娼妓制度」などをめぐる社会問題など、尾小屋鉱山に関しては今後とも様々な視点からの考察が可能であり、また必要である」と記載されている。
『ふるさと石川歴史館』(118377936)p.414-415「尾小屋鉱山の盛衰 近代的経営導入し発展 全盛期のストで失速」
『20世紀の照像』(118388161)p.38「尾小屋鉱山・1910年(明治43)」、p.39「尾小屋鉱山の鉱山労働者たち」、p.91「尾小屋の少年・1917年(大正6)」
『尾小屋鉱山争議史』(118295895)p.179「村の人々」に、尾小屋の中心街の商店の中に遊廓があったと記載されている。
『銅に咲く華 尾小屋鉱山写真集』(11802963)p.5-7「鉱山の想いで」に「尾小屋は本山であり鉱山の中心で活気もあった。商店も沢山あって尾小屋まで出るとなんでもそろえる事が出来た。薬局、呉服点(店)、等々までそして鉱山事務所、郵便局、病院、駅、そして山岸座とか娯楽方面の設備もあって周辺の部落と違い格段の賑いを呈していた」と記載されている。
『加南地方史研究』(109073539)「尾小屋鉱山の守護神について」p.60に「尾小屋鉱山最盛期には、尾小屋は三千人近い人口を数え、鉄道、映画館、芝居小屋、遊廓などがそろっていた」と記載されている。
『西尾村史』(118563136)p.198-236「尾小屋鉱山」p.500-536「尾小屋」 p.508-509に尾小屋の地図、p.507-532に尾小屋町家族調が収録されている(飲食店1軒)。
『石川県電話番号簿 昭和12年』(118625328)p.305-306「尾小屋」に料理屋の記載なし。
『石川県電話番号簿 昭和13年』(118600006)p.284-285「尾小屋」に料理屋の記載なし。
『石川県職業別電話番号簿』(118600015)p.164「尾小屋」に料理屋の記載なし。
『石川県商工電話総覧』(118633366) 1952年発行 p.24尾小屋区内に料理屋の記載なし。
○辰巳遊廓について
利用者からの情報提供によると、『松任町誌』(119544814)に松任町内の遊廓の記載がある。p.188-189「花街」に明治5年に初めて松任に貸座敷を開いたこと、町芸妓は新町にあり、紺村甚平が万延元年に初めて松任に料理屋を開き芸妓を置いたことが記載されている。p.276「料理業」に辰巳町の料理屋3軒が掲載されている。
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/951014/1/172 (2023年3月17日最終閲覧)
『松任町史』(11824319)p.594-595にも同様の記載がある。
『石川郡誌』巻末広告p.9及び『北陸三県実況案内』(118572402)「松任 美川 小松 大聖寺」の広告に紺村甚平が創業した観城楼が掲載されている。
『石川郡誌』
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/764466/1/106 (2023年3月17日最終閲覧)
『北陸三県実況案内』
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/764756/1/142 (2023年3月17日最終閲覧)
『近代庶民生活誌 14』(111435045)p.102に「(昭和5年)松任町遊廓は北陸本線松任駅で下車する妓楼は三十五軒」と記載されている。
『石川県年表 大正編』p.285に「石川郡松任町辰巳遊廓で公休日に芸娼妓の外出問題から二派に分れて業者間に紛擾を起している〔(大正13年)九月十三日・北国〕」と記載されている。
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/3010059/1/147 (図書館送信サービス・個人送信サービス限定、2023年3月16日最終閲覧)
『石川県大百科事典』(109120773)p.464「辰巳町」に「かつては松任町遊廓の所在地として知られたが、現在も料亭やクラブなどの飲食店が集中している」と記載あり。
『明治大正期商工資産信用録』(118583809)石川県p.40に「石川、松任、辰巳 受酒」1軒が掲載されている。
『石川県商工人名録』(119503867)p.217-218松任町の料理屋の項に辰巳町の料理屋4軒が掲載されている。p.215に辰巳町の飲食店1軒が掲載されている。
『石川県電話番号簿 昭和12年』(118625328)p.180に貸座敷が4軒、p.181に料理仕出しが1軒、p.182に貸座敷が3軒、組合事務所が1軒、p.183に貸座敷が2軒掲載されている。
『石川県職業別電話番号簿』(118600015) 1949年発行 p.167松任の「料理・飲食」の項に辰巳町の料理屋が3軒掲載されている。
『石川県商工電話総覧』(118633366) 1952年発行 p.24-28松任区内の「料理屋等」に辰巳町の料理屋が7軒掲載されている(うち一軒は業種不明、屋号のみ)。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000337695