レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/02/02
- 登録日時
- 2022/03/11 00:30
- 更新日時
- 2022/03/11 00:30
- 管理番号
- 200868
- 質問
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解決
足達疇邨(あだちちゅうそん)について知りたい
- 回答
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足達疇邨(あだちちゅうそん)
(慶応3(1867)年-昭和21(1946)年)
下宮地村(旧甲西町)に生まれた書家、篆刻家。わずか14歳にして舂米(つきよね)小学校(旧増穂町)の教員になり、16歳で校長代理となった。勉学の志が厚く青年時代には朝5時に家を出て2里半も離れた、市川大門町(現在の市川三郷町)にある渡辺青洲(せいしゅう)の「青洲文庫」に通いづめ、写印に励み研鑽を積んだ。その後、上京して、四世 浜村蔵六に師事した。
明治28(1895)年に日清戦争の勝利を記念して作られた凱旋門の題額を書いた書が、小松宮彰人親王の目にとまり祐筆に採用された。後に、日本美術協会理事、泰東書道院の顧問などを歴任。太平洋戦争の戦火を避けて天神中条(旧増穂町)に疎開し、昭和21(1946)年に79歳で死去した。
- 回答プロセス
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足達疇邨と調べたところ、『疇邨印譜』がヒットした。さらに『甲西町誌』『山梨百科事典』を調べたところ記載があった。
インターネットで調べ、図録が発行されていることがわかった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 畴邨印譜
- 山梨百科事典
- 足達疇邨展
- 足達疇邨 書と印譜と
- 甲西町誌
- キーワード
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- 足達 疇邨
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 未就学児
- 登録番号
- 1000313342