レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月03日
- 登録日時
- 2015/03/24 20:08
- 更新日時
- 2015/03/24 20:08
- 管理番号
- tr362
- 質問
-
解決
明治維新以降、那須野が原の開墾に従事した石川県出身者がいたか知りたい。
- 回答
-
那須野が原周辺の市町村史誌、および那須野が原開拓関係の資料から、石川県出身者の戸数等が記載された資料をいくつか確認できましたので、ご紹介します。
・『那須開墾社「農業日誌」』(西那須野古文書研究会/編、発行 1989)
巻末のp.(16)-(34)に「移住人名簿」が収録されています。これは、凡例によると「明治14年初頭から27年12月までの移住人の記録をまとめたもの」で、「開墾社の記録に名を留め、かつ入植の事実の確認出来るものに限った」とのことです。
こちらのp.(21)に、明治19年移住で、出身地が「石川県菅ヶ池村」の方の名前が名字のみあります。さらにp.(31)に、明治22年9月11日移住で、出身地が「石川県昨井郡昨井村」の方の名前がフルネームで記載されています。
・『西那須野町史』(西那須野町史編纂委員会/編 西那須野町 1963)
※西那須野町は、現・那須塩原市です。
「第三編 第一章 那須開墾社 第十二節 那須開墾社移住人 二、移住人入植の状況」に、明治19年の府県別入植者数の記載があり、石川県は1戸とあります(p.74)。
・松本和夫/著『那須開墾社 その株主と移住者』(「駿台史学 第11号」1961刊の抜き刷り)
p.165に、明治19年時点の移住者を出身府県別に分類集計した表があり(「第8表」)、「石川 1」とあります(数字は戸数です)。
・『黒磯市誌』(黒磯市誌編さん委員会/編 黒磯市 1975)
※黒磯市は、現・那須塩原市です。
「第四編 第二章 明治の開拓」の「第二節」中に「11、戸田農場」の記述があり(p.476-480)この中に「大正十四年の出身県別」の入植者の数として「石川県 一一戸 五五人」との記載があります(p.478)。
以下の資料には、石川県に関する記述は確認出来ませんでした。
・『印南丈作・矢板武 那須野が原開拓先駆者の生涯』(西那須野開拓百年記念事業推進委員会/編、発行 1981)
「那須開墾社に関係した人々」(p.191-226)に、石川出身者は記載がありませんでした。
・『士族授産と共墾社』(磯忍/著、発行 1980)
p.114-136「第8章 社員及び創業期の入植者の系譜」に、24の入植者の家系について解説がありますが、石川出身者、及び石川に本籍がある家系はありませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 参考資料
- キーワード
-
- 栃木県
- 那須野が原
- 開拓
- 石川県
- 那須野ヶ原
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000169773