レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/03/04
- 登録日時
- 2014/03/07 00:30
- 更新日時
- 2014/03/26 14:33
- 管理番号
- 0000000135
- 質問
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解決
明治4年か5年に金沢の医学館で2回目の解剖が行われ、放火の罪を得た13~18才の子ども3人の体が使われた。3人が放火した火災について確認したい。
- 回答
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(1)『明治金澤の蘭方医たち』p202には「明治四、五年の頃、放火の罪で斬首刑を受けた十代の少年三名の人体解剖が金沢医学館における二件目のものとして行われた。」とあり、質問者の出典と考えられる。
(2)『加能女人系 下』p59に、「二回目の解剖(初回:明治3年(1870)7月)は約二年後、放火犯で処刑された三人の男子死体で行われ、以後明治十六年十月までの十三年間に約二十人の解剖がされたというが、これらについての資料もなくわずかに、明治十六年十月、卯辰山に建碑の「解剖遺骸之碑」に刻まれた金沢医学校長田中信吾の撰文で、それをしのぶのみである。
(3)上記碑文は、『石碑でめぐる金沢歴史散歩』p146~149に収録されているが、第二回の解剖については触れていない。
(4)『石川県史料』刑賞1には、明治4年12月からの処刑者の資料が収録されている。
・明治4年~明治6年の放火による斬首刑が行われたのは以下のとおり。
・明治5年3月 金沢25歳
・明治6年3月 能美郡28歳
・明治6年10月 石川郡28歳
・明治6年10月 小松20歳
・明治6年12月 河北郡26歳・羽咋郡16歳・能美郡14歳・金沢10歳
(5)上記明治6年9月に処分の出た放火は、
明治6年8月1日第九区河原町~8月15日金石町まで8件の放火について記されている。(石川県史料 第1巻p301~308/「県下連続放火事件の裁判、行刑史料(『北陸法學』12(1・2))
- 回答プロセス
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(1)まず『石川県災異誌』の明治4~5年の記事を確認。p79に、明治4年3月23日の沼田町安立寺出火の大火の記事があるが、放火という記事はない。
(2)上記図書の出典に「県史」とあるので、『石川県史 第4編』を確認するが、p192に焼失軒数の記載があるのみ。
(3)解剖についてからアプローチ(回答1~3、2回目の解剖についての最初の出典が確認できない。)
(4)「石川県関係雑誌記事検索」で原禎嗣 「明治六年・石川県下連続放火事件の裁判、行刑史料」(『北陸法學』12(1・2) 2005)がヒット。明治初年の石川県関係の行刑史料は「石川県誌稿」しかなく、これは『石川県史料』に収録されていると判明。
(5)『石川県史料』を確認すると、明治4年11月以前の事件か、または明治6年8月の放火と推定される。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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- 1 明治金澤の蘭方医たち 山嶋/哲盛?著 慧文社 2005.7 K490.9/1002
- 2 加能女人系 下 北国新聞社編集局∥編 北国新聞社 1973 K367/3/2
- 3 石碑でめぐる金沢歴史散歩 三田/良信?監修 北國新聞社 2013.8 K292.2/1152
- 4 石川県史料 第1巻 石川県立図書館∥編 石川県立図書館 1971 K209/21/1
- 5 県下連続放火事件の裁判、行刑史料(北陸法學12(1・2)) 原禎嗣 北陸大学法学会 2005.3 188-175
- キーワード
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- 金沢
- 金沢医学館
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000150297